過保護なロトム

 ボクがこの世でもっとも危ない目に遭ったのは忘れもしない、夏になる前の日。
 既に蒸し暑い昼のことだったロ。
 その日、暑いのが苦手なボクは日陰をうろうろしながら休むところを探していると、とある家の庭先に置かれた洗濯機を見つけたロト。これはちょうどいいと、早速入り込んだロト。いたずらするつもりはなかったロよ。ボクはロトムの中では珍しい「まじめ」だから。ママさんもそう言ってるでしょ?
 だから、洗濯機になって日陰でちょっと休憩しロと思っただけ。悪いことは何もしてないのに――次の瞬間、悪夢のような出来事が起こったんロ!
 お腹の蓋がガバッと開けられたかと思うと、そこへドカドカと大量のタオルや布きれがなだれ込み、洗剤を投げ込まれた! それはもうひどい汚れと悪臭だったロ。生臭いミルクとそれが発酵したようなウンチ染みが混ざったあのニオイは今でも思い出すし、夢に出るロト。ボクが寝ながらうなされているときは、ほぼ百パーセントそれと言っていいロト。あんまり臭いから吐き戻しそうになって蓋を開けようとしたけど、上から押さえつけて無理やり稼働させられて――お腹の中がありとあらゆる不快感で満たされたボクは、たまらずに洗濯機から逃げ出したんロ。ぽーんと飛び出て、そしたら目の前にいたママさんはびっくり。ドゴーム顔負けのハイパーボイスにボクもびっくり。思わず縁側からリビングへ転がり込んでしまったロト。
 そしたら新たな悪夢が待ち受けていた!
 目の前にいたのはボクより少し大きい、一見かわいいベージュ色の丸っこいやつ。うるうるした大きな目でこっちを見つめられて油断したロ。そいつは可愛い見た目でとんだモンスターだったロ! ママさんや他のポケモンみたいに意思疎通ができず、ベビィポケモンよりたちが悪いからモンスターと呼ぶロ。
 そいつは目の前に居るボクを掴んだかと思うと、振り回しながら床に何度も叩きつけ、縦に横にとべろべろ舐めまわす! あれを地獄と呼ばずして何というロ? 生まれたてのベロリンガだってもう少し優しいロト。あの時、でんき技で反撃しなかったボクを褒めて欲しいロね。何故なら、君がまだ赤ちゃんだったから――まあ、怒涛の拷問に無力だったロもあるんだけど。お陰で弱って動けないところをママさんに捕まってしまったロト。
 ところで、なんでママさんは君に布おむつなんて使っていたんだロ? あんなものを使うから、外の洗濯機は毎日回りっぱなし。ボクの他に迷い込んで酷い目に遭うロトムがいなくて本当によかったロト。まあでも、お陰でおむつが外れるのは早かったけどね。

 夏になってからは扇風機としてフル稼働していたロト。
 雨の日は部屋の中で洗濯物を乾かし、暑い日は君のそばでグルグル。そうそう、君がボクのプロペラに指を突っ込まないようにネットを被せられたのは忘れもしないロ。まるでみかんになった気分。とんだ辱めを受けたロ。え、その時の写真?――ふふん、残念ながらデータはママさんの手元ロト。ところで、あれは夏になるたびに被せられていたけど、外すようになったのはいつだっけ?

 君は目を離すとすぐに悪戯をするからね、庭の芝刈りを任せられた時はそこを這いずり回っても痛くないように、草を短くカットして小石や枝も取り除いていたロト。ディグダの忌避剤も撒いたりして。君が静かになった時は特に危険。土を掴んで食べようとするんだから。もし、どくポケモンが庭に忍び込んで、その場所にヘドロを吐いていたらどうするの?――ね、危ないでしょ。
 それなのに、君のおじいちゃんってば「子供は少し痛い目に遭わせんと、ひ弱に育つ」だって。せっせと芝刈りをするボクを睨んで、そう言ってたロト。ママさんが「ロトムは世話焼きなのよ」って返したら、「こんなの捨ててこい」だって。そんなことをしたら、芝刈りをするポケモンがいなくなっちゃうロね。
 え、おじいちゃんがやってくれるはず? たまにしか来ないから伸び放題になっちゃうロ。そうすると君はすぐ転んで、小石に頭をぶつけちゃうかも。その時、おじいちゃんは責任とってくれるロトか? 痛くないに越したことはないし、余計な怪我をする必要はないロ。
 それとね、やっぱり芝はこまめに手入れしなきゃ。
 秋ごろになるとボクは世界で一番腕の立つカットロトムになっていたロ。お陰でママさんとパパさんにすごく信頼されて、捨てられることはなくなっていたから――そうそう、綺麗に整備したから縁側に手を掛けて立ち上がる時も足に力を入れやすかったでしょ? 何のことって? 君が初めて立ち上がったのは庭の中ロト。
 ちなみに、それを最初に見たのはこのボク! ママさんとパパさんよりも早く見つけて、ブザーを鳴らして知らせたロ。君はすぐに後ろへ倒れて泣いちゃったけど、あの時、頭の所に石があったらどうなっていたこトロやら。ほらね、芝刈りって大事でしょ。
 ついでに、君が初めて言葉を発したのも庭の中ロト。
 この次の年にね、ボクを指して「ロポ」って言ったロ。「ム」が抜けているし「ロ」しか合ってないけど、「ママ」や「パパ」を差し置いて一番最初に言ったロト。あの時、パパさんはすごく悔しがっていたロね。
 でも、それでボクの名前が「ロポ」になったのはちょっと納得できないロト。どうせならアルフレッドとかジャービスとか、そういう格好いい名前がよかったロ……えっ、それなら今から変える? え、えーと、どっちにしようかな。ちょっとしばらく考えてみるロト。ママさんとパパさんにも報告が必要だし、「ロポのままがいいのに」って言うかもしれないロね。

 で、話を戻すケド。
 庭遊びのお陰かなあ――君は外で遊ぶのが大好きで、歩けるようになってから家族でキャンプに行くようになったロね。ボクは冷蔵庫としてついて行けるから、ママさんにとっても喜ばれたロト。冷蔵庫は美味しそうな匂いのするものばかりお腹に入れられるから、ボクとしても助かったロ。洗濯機とは大違い。洗濯機なんてもう絶対に忍び込まないロト。
 あれは君が三歳くらいのこロトね。
 家族で川へキャンプに行ってママさんとパパさんがお昼の支度をしているとき、ボクは君の遊び相手をしていたロ。ボクは君の安全をきちんと考え、川とは反対の砂利のところで小石を積み上げて遊ばせてあげたロト。テレキネシスで石を浮かせてすごい技を見せたのに、君は二言目には「つまんない。川、行く」。川はあぶないから一人で行っちゃダメ、お昼を食べてから、ってママさんから何度も言われていたのに――君ってばボクを振り切ってそっちへ飛んで行っちゃって。橋脚の下で休んでいたヘイガニの群れに石投げて怒らせちゃったロ? ママさんのハイパーボイスには慣れていたつもりだけど、あの時の悲鳴はひときわ大きかったロト。
 川底から山のように積み上がったヘイガニが、一斉に君の所へ飛んできて。
 君は泣きそうな顔でボクの名を叫んだ。
 ボクはまだ身体の中に残っていた食べ物を全てポイして、代わりに君を中に入れた。そしてぱたんと蓋をして、食べ物を冷やすために使う電気を全てヘイガニに向けて「ほうでん」した――ああ、よかった、やっぱり覚えててくれてるんロ。久しぶりに技を使ったから、君が中で痺れてないか心配だったロト。君はあの時、「へーき」って笑ってたケド……後遺症とかがないか、今でもずっと気になってたロ。助けられて良かった。ああ、お昼の食材はひっくり返って全部ダメになっちゃったロトね。

 だからね、これから旅に出ロけど、もう野生のポケモンに石を投げるのは絶対、ダメ!
 怒らせて襲われても、ボクはこうして図鑑に入っちゃったんだから、助けることはできないロト。
 十歳ならそんな乱暴な真似はしないって? それは分かってるけど、一応ロ。君ってばまだまだヤンチャで、ママさんもパパさんも心配してるんだから――ボクが見守ってあげなきゃいけないロト。


「相変わらずの過保護なんだから」
 と、言って君は溜め息を吐くと、手元のマニュアルをぱたんと閉じた。
 旅立ちのバスを待つ間にうっかり昔話をし過ぎてしまったが、本の内容はきちんと頭の中に入っているだろうか。ボクの操作マニュアルは図鑑の中にも内蔵されているから、君が忘れてもこちらでフォローは出来る。しかし、覚えてもらうのは大事なことだ。やきもきしていたら、君がこちらをじっと見つめる。
「それにしても、かがくのちからってすごいなあ。ロトムが図鑑になって会話できる日が来るなんて……」 
 新時代のテクノロジー、ロトム図鑑と旅しよう――君が旅に出る前に、この図鑑の所有権が贈られる作文コンテストが実施されたのは幸運だった。コンテストのテーマは「ロトムについて」。原稿用紙の規定数いっぱいに書いてくれたボクへの想いは他の追従を許さなかったらしい。文句なしの最優秀賞で、君は図鑑に入るロトムにボクを指名し、この姿になった。
 図鑑に憑依すると、それまで持っていた感情や思考が人と同じ言葉でするすると発せられる。嬉しくなって出会った頃からの思い出をひっくり返していたのだが、ちょっと長かったかな、君を呆れさせてしまったみたい。
「こんなにお喋りなのは想定外だけどね」
 君だって小さい頃はママさんやパパさん相手にうんざりするほどお喋りしていたじゃない。それと同じだよ。気持ちをかたちにできるから、とにかく聞いて欲しいんだ。
『せっかくふたりで旅に出られるんだから、会話がないのは退屈ロト』
「まあね。でも、どうせならロポを最初の手持ちにしたかったな。せっかくボールも用意していたのに」
 そう言うと、君は寂しそうな目で手元のリュックからぴかぴかの白いボールを覗かせた。
『それ、デパートで買ったカッコいいやつ……』
 先月、デパートで旅の準備品を揃えた時に君が唯一、自腹を切ったボールだった。プレミアボールの更に特別版らしく、一個三千円もするからママさんにはお金を出してもらえなかったのだ。その直後、ボクは図鑑に採用されてしまったけど――
「まさかコンテストで優勝できるとは思わなかったんだよね。五千も応募があったんだよ?」
 そんなに自信がなかったとは思わなかった。ママさんは絶対優勝すると確信していたらしいけど、君は違うんだね。
「今なら戻れるよ」
 期待を込めた眼差しで君が微笑む。
 その誘いが魅力的で、少し迷った。
『いや……ボクにはポケモン図鑑と、君をリーグに導く使命があるロ。残念ながらそれには入れないロト』
 それに君とこうしてお喋りできる、こんな夢のような出来事は他にない。
 君は笑いながらマニュアルとボールをリュックに戻し、バス停のベンチから腰を浮かせた。遠くから目的地を掲げたバスがやってくる。
「そうだね。話してる間にバスが来たよ。そう言えばロポ、駅までの運賃はいくらだっけ」
『四百円ロト。ママさんがICカードに五千円分チャージしてくれているから最初の支払いは不要ロけど、無駄遣いしないように』
「はいはい」
 君はさらりと流しながら、目の前に停まったバスに乗り込んだ。ボクもそれに続く。ミラー越しにびっくりした顔の運転手と目が合ったが、あくまで図鑑なのでポケモン料金は取られないだろう。旅の序盤は安上がりになりそうかな。最初の目的地までのルートと料金がボクのディスプレイに浮かび上がる。

→おまけ

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