第11話:スター誕生

 ――チャンピオン・アシヤ、PWT参加へ意欲! SPリーグ初の優勝に期待。
「すごいよねえ、連日のように報道されて。こんなこと今までなかったよ」
 社長がスポーツ紙を眺めながらいかりまんじゅうを一口齧る。
 三時を過ぎたセブンブリッジ社の事務所内では従業員が揃って小休憩をとっていた。茶菓子は週末にジョウト地方のチョウジタウンを旅行したサチエが土産として買ってきたいかりまんじゅうだ。事務所内にはお茶やコーヒーの混ざり合った香ばしい匂いが漂っているが、ナギサはどうも落ち着かない。あの忌々しいトレーナーの名前を聞いたからだろう。
 二週間前にSPリーグのチャンピオンが交代してからメディアは連日のお祭り騒ぎだ。中国人を王座から引きずりおろしたのは皆が待ち望んだ地元出身の若手トレーナー。その上、健康的で目鼻立ちの整った顔ときたものだから浮足立つのも仕方がないのかもしれない。会社が取っている地元スポーツ紙では毎日一面でアシヤが取り上げられ、彼の一挙一動で盛り上がる酔狂ぶりだ。明日、レックウザとデオキシスが隣町で喧嘩を始めてもこの地方の新聞はアシヤを一面にするのではないかとさえ思う。ナギサはそれが気に入らない。
「そりゃあ喜びますよ、SPリーグ始まって以来の地元出身チャンピオンだから。警護ポケモンまでつけてトレーナーの旅をサポートすること十数年、ようやく芽が出たかあ」
 ヤマベが二個目の饅頭を開けながら嬉しそうに社長に答える。彼はSPリーグ発足からセブンスマンのブリーダーをしているので自分の手柄のように感じているのだろう。
 ナギサにはその気持ちがさっぱり理解できなかった。ケイコに嫉妬した時と似ていて、成功している同世代を見ると同じ舞台に立てない自分が情けなくなる。彼が十歳そこそこで殿堂入りしていれば「神童が現れた」程度にしか思わなかったはずなのに。
 また、アシヤが気に入らない理由は他にもある。ナギサは不満を言葉に出した。
「いくらなんでも騒がれ過ぎじゃないですか。新聞やニュースではアシヤの生い立ちや家族、母校の話まで紹介されていて肝心のポケモンが前に出てこない」
 すると向かいの席に座っていたヤマベが肩をすくめる。
「そういう戦略なんだろ。手持ちの詳細を明かしたらすぐに研究されるからな。ジムリーダーやってた頃は情報屋が幅を利かせていたもんだ」
「つまり、メディアも味方してるってことですか」
 ナギサもトレーナーをしていた頃は情報屋からジムリーダーのポケモンデータを売買したことがあった。彼らはジムの周りをうろつきながら、挑戦を終えたトレーナーに声を掛けてバッジのランクごとの手持ち情報を入手し、精査して新たな挑戦者に提供することを生業としている。
 事前に戦略が立てられる情報屋やバトルを中継するテレビ局の存在は入れ替わりの激しいリーグトレーナーには死活問題だ。バックが強い四天王やチャンピオンほど延命できるので、そこでペイトレーナーの真価が問われる。前代のチェンはやけに手持ち情報の開示が多かったが、それはスポンサーの少なさが影響しているのだろう。
「初めての地元チャンピオンだし、簡単には降りて欲しくないんだろうね」
 社長もそれを理解しているようで少し呆れた調子だ。一方、サチエはチャンピオンの顔面に惚れ込んでミーハーに騒いでいる。
「それに加えてイケメンだものねー! 色黒のくっきりした顔立ちがまるで俳優みたい。アシヤくんは良い広告塔になるわよ」
「華があるトレーナーがいればリーグは盛り上がりますからね」
 サチエと社長の会話がこの地方の総意なのかもしれない。ナギサは失望する一方で、チャンピオンの夢が益々遠のいていくのを感じていた。

+++

 人込みに潰されぬよう気を払いながら、トマルはうんざりしたように空を仰ぐ。綿雲が流れる田舎の青空は開放的だ。ひこうポケモンの背に跨り、そこで待機できればどんなに楽なことだろう。そんなポケモンは持っていないし社会人として許される行為ではないが、ファンやマスコミ、各自治体の関係者らが待ち構えるリーグ通用口前でポケモンリーグ職員の自分がそこに混ざってチャンピオンのアポ取りをするのだから、それくらいの融通はできても良いはずだ。

 来年のセブンスマン推進大使にチャンピオンのアシヤくんを採用しよう――チェンの取材が白紙になった直後、広報部では新チャンピオンをセブンスマンの広告塔に担ぎ上げることが決定した。それまでは地元アイドルグループや地元ミスコンの優勝者ばかりが起用されており、チャンピオンの前例はない。
「アシヤくんは地元出身のチャンピオンで見た目も抜群だからな! SPリーグの顔になることは間違いないだろう」
 鼻息荒いトマルの上司に全員が賛同した。
 末席で議事録をとっていたトマルもそれが正解だと思っている。新人トレーナーは皆、頂点を目指して旅に出る。その夢を後押しする人間は「セブンスマンに守ってもらうだけ」の女の子より、「セブンスマンに守られながら」王座に就いた青年である方が効果は期待できるはずだ。
「じゃあトマル、アポよろしく」
 と、上司から頼まれ会議後に担当部署へ電話を入れたのだが――何度かけても話し中で、ようやく繋がったのは一時間後である。そして得られたのは「現在、チャンピオンの担当と連絡がつき辛いので、本人に直接アポを取った方が早いです。始業前か終業後に通用口で待っていればチャンピオンと一緒に現れます」というつれない回答だ。身内の扱いの軽さにトマルは辟易した。

「ファンと一緒に出待ちは辛いなー」
 トマルは通用口前に溢れる人々に揉まれながら周囲を一瞥する。アシヤがチャンピオンに就任してまだ一月も経っていないのに、集まったファンは彼のグッズで全身を飾りたてていた。アシヤの名がプリントされた法被やうちわ、タオルにフラッグ――ここはアイドルのコンサート会場なのだろうか。王座就任から一週間という異例の早さで売り出したグッズは飛ぶように売れ、生産が間に合わないらしい。チェンやその前のチャンピオンの時はグッズのひとつも企画せずに「Champion」の文字タオルだけで乗り切っていたのに、アシヤになるとやけにフットワークが良いのは彼を支えるスポンサーの多さだろうか。
「やっぱり生え抜きは違うんだな」
 と、感心する反面、話題先行すぎる気がしないこともない。
「どのくらい強いんだろ」
 何となくぽつりと呟くと、隣にいた中年女性が捲し立てるように説明してくれた。
「あなた中継を観ていないの? アシヤ様はチェンを手持ち三体残しで勝ったのよ。あの圧勝には心が震えたわ!」
「へえ……」
 それなら結構強い部類か。
 トマルはそこまで言わずに納得したように頷く。その実力ならばスポンサーの力を借りて数年はリーグに居座ることが出来るだろう。アシヤがリーグを盛り上げてくれれば、挑戦者が増えて地方全体のレベルが上がる。そうなることでSPリーグがセキエイやホウエン、シンオウリーグに肩を並べる日も近いはず――そう考えると話題先行も悪くない。
 前向きに考えているとふいに周囲がざわつき、隣の女性が甲高い声を上げた。
「あっ、アシヤ様が来たわ!」
 それを合図に周囲にいた人々が一斉に同じ方向を向く。通用口から三十メートル先にある関係者駐車場だ。チャンピオンや四天王はいつもここからリーグへ入る。男性マネージャーや番記者を引き連れたアシヤらしき青年の姿が見えると、出待ちの群集が前へと押し寄せ、複数の警備スタッフが一時間前から苦労して開けた道幅二メートルの通り道がみるみる狭まっていく。
「チャンピオンが通ります! 押さないで!」
 罵声に似た警備スタッフの注意もむなしく、興奮に煽られた出待ちは我先にとチャンピオンの姿を拝もうとする。最前列にいたトマルはその勢いに押し潰されそうになるも、何とかその場に踏みとどまった。
 徐々に狭まる通路の向こうから、マスクを付けた色黒の好男性が歩いてくる。次々と差し出される色紙やマイクを無視しながら、真っ直ぐに通用口を見据える姿はこの場にいる全員と一線を画するものがあった。チャンピオンになってまだ日は浅いが、これは確かにSPリーグの未来を託すにふさわしい風貌だ。トマルは息を呑んだが、直後に目の前を担当マネージャーが通り過ぎたため慌てて首から下げた社員証を掲げながら声を張る。
「あのお、マネージャーさん! 広報部のトマルです! 今度、チャンピオンを広告に起用させていただきたいんですけども!」
 疲労を露わにした男性マネージャーはトマルに煙たげな視線を向けた。
「それ、また今度でいい?」
 身内は後回し、そんな意図が透けて見えたのでトマルは負けじと食い下がる。ここで予定を取り付けなければ帰って叱られてしまうのだ。
「いや……セブンスマン業務は割と急ぎなんです!」
 明朗で爽やかな声は群衆のざわめきにもかき消されることなく、マネージャーを始めチャンピオンの耳にも届いた。 
「セブンスマン?」
 マスクで覆われた浅黒い顔が足を緩めてこちらを振り向く。隣にいた中年女性がけたたましい歓声を上げたが、トマルにはその良さが分からなかった。アシヤのくっきりと尖った目鼻立ちは視線が合うだけで威嚇されたように感じ、身が竦む。
「あ、はい! ええと、はじめまして。僕は広報部の……」
 切り出そうとした話題が喉の奥で縺れる間に、番記者がすかさず割って入る。
「チャンピオンはセブンスマンに守られて旅立った世代のトレーナーでしたねえ! どんな思い入れがありますか?」
 それはこっちが聞いてパンフレットにまとめたかったのに――トマルは唇の端を噛み締める。この問いに対し、アシヤははっきりと聞き取れる声で呟いた。
「僕のセブンスマンは旅先で死にました」
 この話題を耳にしていた関係者の顔がたちまち凍りつく。
 目の前に差し出された色紙に気まぐれにサインをしながら、アシヤは硬直するトマルを睨みつけた。
「勿論、僕を守った末の結果ですが……セブンスマンにはあまりいい思い出がありません。トレーナーの盾になるためだけの調教なんて虐待だ。広告の話はお断りさせていただきたい」
 ぽかんと立ち尽くすトマルを前にチャンピオンはファン対応を中断し、そのまま通用口へと去っていく。出待ちの波がそちらへ押し寄せようとしたが、先回りした警備スタッフにより阻まれた。熱狂が和らぎ、冷静さを取り戻す中でトマルだけがその場から離れることができなかった。
 
 
 通用口の分厚い鉄扉を閉めたところで、ようやく喧騒が和らぐ。
 それでも入講パスを持った報道陣はついてくるので、完全な静寂が訪れるのは専用のロッカールームに到着してからだ。アシヤは深い溜め息をついて、リュックの外ポケットに差したままのタンブラーに手を伸ばしたが、その場所の膨らみは失われている。
「駄目ですよ、外ポケットに物を入れておくと盗られます。キーホルダーやジムバッジもね」
 マネージャーが苦笑しながらお茶が入った未開封のペットボトルを差し出した。
「過去には出待ちの時にチャンピオンのリュックに付いたジムバッジを盗んで、『バッジが八個揃っていない』と騒ぎ立てた輩もいるんですよねー。リーグ敗退した腹いせなのかな。手続きをしてバッジを再発行したから問題はなかったんですけど、バッジなんてあくまで形式的なものなのに頭イカれてますよねえ」
「そうかな」
 アシヤはペットボトルを受け取らずにロッカールームへと続く通路を向いた。
「同じバッジでも、ジムリーダーから直接貰ったものの方が思い入れはあるんだけど」
 そう言っても、マネージャーはきょとんとしたまま。こんな男にはいくら説明しても分からないだろう。彼はただ、チャンピオンという人間をマネージメントする仕事を淡々とこなしているだけなのだ。アシヤがそっぽを向いて歩き出すと、すかさず番記者が傍についてくる。
「あのー、チャンピオン。それで、さっきのセブンスマンのお話なんですが……」
 この男も何度もしつこく、相手にするのは時間の無駄だ。その上、ちょっとした一言を何倍も膨らませて記事を書くので性質が悪い。
「それ、また今度にしてもらえます?」
 さらりと告げて足を早めた。
 ああ、待ってよチャンピオン――記者やマネージャーなど、自分を商品と見なす人間の声が波になって背中へと押し寄せてくる。それに飲み込まれてしまったら、チャンピオンも浮かれた称号に変わってしまう。少しでも隙を見せて足元を掬われるような事態は避けたい。歴代のSPリーグチャンピオン達のように短命で終わり、陰で嗤われてなるものか。アシヤは四天王の控え室前を通過し、突き当りにある自分だけに用意された「王室」を目指す。ドアの前には見慣れた団体が立ちふさがっていた。
狭い通路に横並びになって目を輝かせているのは両親と伯母、そして見知らぬ少年。真っ先に自分に声を掛けたのは母だった。
「今日も大変ねえ。外は出待ちで溢れ返ってたわね」
 関係者の札を下げた母が誇らしげに微笑みかける。
 チャンピオンになる前はファストファッションで揃えていた服装が、日に日に上等な格好へと変わっていく。それでも一目でブランドの分かる服を着ているから、醸し出す成金っぽさは拭えない。
「まあね……」
 と、視線を逸らしながらこれまで冠婚葬祭でしか会わなかった伯母に挨拶する。
「リカ伯母さんも久しぶり」
「少し会わない間にすっかりスターになっちゃって!」
 これまで数えきれないほどジムバッジ七個でポケモントレーナーを辞めた息子と自分を比較してきた伯母の顔から嘲笑は消え、羨望に変わっている。
 十歳を過ぎて旅に出ない男の子なんて、ねえ? 将来が心配だわ――トレーナーライセンス取得までに散々聞いた嫌味だ。この田舎では十歳を過ぎて旅に出ない者、三十歳までに結婚しない者は変わり者と見なされる。だが遅れて結果を出せばこの通りの掌返しだ。伯母はすかさず傍にいた少年を紹介する。高校生くらいだろうか。
「私の主人の弟の従妹の子供でね、マサルくん。大きくなったでしょう。来年受験生で、忙しくなる前にどうしても会いたいって言うから……一緒に写真撮ってあげて!」
 こんな遠縁、会ったことがない。チャンピオンになってから名前も知らなかった親戚が急増しているが、いつも通り握手を交わして写真を撮った。だが、彼らはこれだけで満足して立ち去るはずがない。
「この子、あなたが通った大学を目指すそうよ。でも先日お家が火事に遭われて……」
 会話の流れは予想通り。だが、ポケモンバトルで読みが的中した時のような快感は得られない。
「お気の毒に。僕が寄付を募っておきますよ」
 すると親族らの顔がぱっと明るくなる。それくらい保険か奨学金で何とかすればいいのに、金づるを前に自分の手を汚すことはしたくないらしい。両親の間を割り、塞がれていたドアノブに手を掛けた。
「じゃ、これから仕事なので」
「頑張ってね。これ、お弁当よ」
 母が手作りの弁当を渡し、父も見送る。それを控えめに受け取る姿は立派な孝行息子になっているはずだ。自分がドアを閉めた途端、彼らは自分との別れを名残惜しむことなく「やっぱり『オーくんフィーバー』にあやかった名前は成功するのねえ」とか言いながら取材陣の中へ飛び込み、積極的にインタビューに応じ始めることだろう。両親は来月「かがやけ、アシヤ――家族が見たチャンピオンの背中――」なる本を出版するそうだ。

 一人でいられるのはこのチャンピオン専用ロッカールームだけ。
 三つ並んだスチールロッカーに革張りのチェア、大型テレビに部屋の両側に置かれたケータリングやアメニティー。SPリーグ王者はこの場所でくつろぎながら、四天王を突破した挑戦者を待ち続けるのだ。
 アシヤは空のロッカーにリュックを投げ込むと、弁当をゴミ箱に突っ込んでチェアに身を投げた。回転式の椅子が滑らかに揺れて、静かに止まる。外の喧騒が微かに流れてくるものの、部屋の居心地は悪くない。旅トレーナー時代に寝泊まりしていたビジネスホテル風のシンプルな室内がそう感じさせるのかもしれないが、成功したはずなのにアマチュア気分で安らぐのは少しばかり不本意だ。
 しばらくぼんやりしていると、マネージャーがドアをノックする。
「お休み中の所、失礼します。待機の合間にお願いしたいことがありまして」
 彼はこちらの返事を待たず、厚かましく部屋へ入る。そうでもしなければ後ろに待ち構えている記者達が勝手に侵入してくるからだろう。膨れ上がった紙袋をいくつも引っ提げ、アメニティーが並ぶ長テーブルにスペースを作り、それらをどかどかと並べていく。
「これ、ファンからのプレゼントとファンレターです。全て検閲済み」ぱんぱんに詰まった袋が三つ。触れずに捨てよう。「これは自治体からの差し入れですね……」薄めの白い紙袋が六つ。四天王にやろうか。「このトレーディングカードや写真、色紙はキャンペーンの景品になるので今週中にサインを入れてください」厚い紙袋二つ。これは最低限の仕事だから避けられない。ドーブルに自分のサインをスケッチさせて手間を省くとしよう。マネージャーは紙袋を港町の市場のようにざっくり並べ終えると、次にホチキス留めされた紙束を差し出した。
「こちらが取材のスケジュールです。毎日のように依頼が入ってきますよ。スーパースターは忙しいですね」
 表紙には明日から一週間分の取材予定がずらりと連なっている。パズルのようにぎっちりと組み込まれ、ポケモンを訓練する余裕もない。ポケモンバトルのチャンピオンなのに、王座に座ればそこから遠ざかっていくのか――と、アシヤは軽蔑する一方で安心感もあった。
「それと……」
 ふいにマネージャーがこちらの顔を窺いながら、ぎこちなく切り出す。
「セブンスマンのイメージキャラクターは本当に断りますか? このリーグからの依頼なんですけど」
 通用口で呼び止められた若い男を思い出す。チラーミィのようにころころとした両目を輝かせて自分をセブンスマンの広告に起用したいと言っていたが、冗談ではない。露骨に眉を顰めると、マネージャーは向こうの肩を持つようなことを言う。
「あなたがセブンスマンに守られたトレーナーで初のチャンピオンだから、是非とも起用したいんですよ」
 こいつもリーグの人間だから、考えがあの広報寄りなのかもしれない。嫌味で返した。
「警護中にセブンスマンを死なせた僕を広告塔にするのか?」
「美談にはなりますけどね」
 旅立つ前に免許センターで貰ったセブンスマンのパンフレットにも、広告のアイドルと彼女を守ったセブンスマンのエピソードが掲載されていた。何度も危機を救われたという、そんなありがちな内容で、軽く読んでゴミ箱に捨てた。あれに目を通したルーキートレーナーでその話の詳細を覚えている者はそいつのファンを除けば一人もいないだろう。ご当地アイドルの求心力などその程度だ。
 だが、チャンピオンは違う。
 そんなエピソードを話してしまえばマスコミから広がって大衆へと拡散、あのセブンスマンの死が周知の事実となる。アシヤは黙り込み、拒否の姿勢を見せるとマネージャーはそれを悟って出入り口へと退いた。
「ああ、そこのテレビはスタジアムと中継が繋がっていますから、挑戦者のチェックに役立ててくださいね。ローカル局の実況、解説付きですよ」
 彼は電源の入らないテレビに視線をやりながらそう言い含め、部屋を出た。
 ぱたん、とドアが閉じて静寂に蓋をする。
 テレビに電源を入れるつもりはない。バッジを持たない未熟なトレーナーに屈強なポケモンが従わないように、アシヤは両足を投げ出して椅子の背もたれに身体を預けてそっぽを向いた。
 SPリーグでは毎回五人から十人ほどの挑戦者を相手にしているが、四天王を突破できるトレーナーは滅多に出てこない。せいぜい三、四ヶ月に一人いるかどうかだ。戦わない相手の試合など見るだけ無駄だ。三番手の四天王、ヤエガシが敗北した通知が来ればようやくリモコンのスイッチに手を掛ける程度である。それでも中継に繋げたことはない。
 そこでもし、自分より遥かに強そうなポケモンを目にしてしまったら?――この世界には、戦う前からこちらの負けを確信させるトレーナーが存在する。惨めな敗北は想像するだけでストレスだ。ひとたび王座から陥落してしまえば、このロッカールームに至るまでにすり抜けてきたあの群衆が嘲笑の刃を向けるだろう。トレーナーの旅を続けて三年、自分は誰よりも強くあろうと厳しい特訓を行ってきた。全てはSPリーグの王座に就くため。それを達成した今、自分を揺るがすのは「下から来る者」しかいない。
 気を緩めると足首にひやりと冷たい感覚が走り、そのまま引きずりおろされそうな感覚に陥る。アシヤは靴を脱ぎ捨て、椅子の上に胡坐をかいた。真ん中に支えがあるだけの椅子が不安定にぐらりと揺れる。
 ようやくここまで上り詰めたのだ。この椅子は絶対に譲れない。アシヤはベルトに装着していた旧式のプレミアボールを両手で覆いながら、中の相棒にそっと呟く。
「ずっと、ここにいような」
 アシヤはそのまま目を閉じた。


 ロッカールームに響き渡る、ポケモンリーグ受付終了のチャイムが心地いい。
 アシヤは殆ど動かしていないリュックを掴み、座り続けた椅子から腰を上げる。革張りの座面はしっとりと汗ばんでいた。明日からは取材を受けながらの待機になるため、部屋に閉じこもることもないだろう。この日はサインを書くこともなければテレビにも手を付けず、リーグ終了までの五時間をじっと瞑想で過ごすのみだった。アマチュア時代は何もしない時間は焦燥に駆られるので訓練に出ていたが、今はチャンピオンとして一日でもその座を防衛できた喜びで満たされている。
 相棒のボールをベルトに装着し、リュックを肩に掛けてロッカーを出ると豪胆な声が頭を打つ。
「おーっす、新チャンピオン!」
 四天王のヤエガシだった。
 自分より年も体格も一回り大きい、SPリーグ最年長トレーナーである。
「ご苦労様です」
 素っ気なく頭を下げると、ヤエガシはアシヤの肩に腕を回しながらヤニくさい声で囁きかける。彼はこの地方では豪傑と名高いが、近くで接するとただ厚かましいだけだ。
「外は出待ちで溢れてるぞ。スーパースターは違うなあ」
「どうも」
 羨むような視線をはね除け、そのまま通用口へ向かおうとしたが即座にヤエガシに阻まれた。
「そのまま駐車場へ向かうのは危険だぞ、スタッフ用の出入り口にハイヤーを呼んでるから乗せてやろうか?」
 恩着せがましい口ぶりが煩わしい。それに彼の思惑はお見通しだ。自分を「ピッピにんぎょう」にしたいだけ。
「また僕と食事したい人がいるんでしょう」
「いいじゃねえかよお、ちょっとくらい! 美味いタダ飯食ってけよ!」
 ヤエガシは有無を言わさずアシヤを引っ張り、面倒見のいいベテランを気取りながら別の出入り口へ歩いていく。湿っぽくてむさ苦しい中年男でも、ピッピにんぎょうを出せば周囲の気を惹くことが出来る。今夜はスポンサーなんかと適当に食事をした後、最終的にそういう店に連れて行くつもりなのだとアシヤは察した。
 
 その予想は的中し、地元ガス会社の社長とステーキを食べた後に連れてこられたのはポケモンリーグからほど近い歓楽街の奥まった路地の中にある、煌びやかな夜の店だ。いかにもヤエガシが好きそうな派手なキャバクラである。
「ここ、最近気に入っててな。オンナノコのレベルが高くて良い店だぞ」
「相変わらず若いコ好きだねえ、ガシさん! でもあなたが言うなら間違いないや」
 ヤエガシがうきうきと中へ入り、その後に社長が続く。腐っても地元の著名人、リーグトレーナーともなれば高級クラブがふさわしいはずなのに――十歳からポケモンバトルだけに打ち込み、下品な遊びばかりに夢中になりながら成長した中年の行きつけがこれだ。
 アシヤは深く溜め息をついて後ろを歩く。店に入った途端、周囲のざわめきが肌を打った。まるでグラスフィールドが発動されたような湿っぽく生温い空気の中、嬢やスタッフ、そしてすべての客がこちらに視線を注いでいる。ピッピにんぎょうは最大限の効果を発揮した。ヤエガシは得意気に自分の肩を抱きながら、通された席へどかりと腰を下ろす。
「先週の公約通り、うちのスーパースターを連れて来てやったぜ!」
 さっと駆け寄ってきた派手な女たちが黄色い声を上げる。皆似たような顔をしており、フラージェスの群れへ紛れ込んだ気分だ。トレーナーがポケモンを選び出すように、ヤエガシはここからお気に入りを見つけているのだろうか。
「ガシさん、約束守ってくれたんだあ! さっすが四天王は違うねー」
 さっぱりと弾んだ声がして、艶やかな黒髪をまとめた女がやってきた。照明に輝くペールブルーのアイシャドウに桃色の唇。まるでケイコウオみたいな女だと、アシヤは思った。
「へへ、ありがとう。もっと褒めてよ」
 傍のヤエガシも鼻を伸ばしている。彼女がお気に入りなのだろう。まあ、この中では最も顔が良い。
「初めまして。ツバキです」
 黒髪を揺らしながら女が微笑み、自分とヤエガシの間に浅く腰を降ろす。滑らかな曲線を描く脚がアシヤの腿に一度だけ触れた。

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