デートのつもり

 石竹色を基調にした柔らかな色合いの遊園地は冬晴れの淡い青空とよく馴染む。その色が引き寄せるのか、時折園内を行き交うのはカップルばかりだ。平日の午前中という時間帯も関係しているだろうが、家族連れは殆どいない。そこに自分がアンズを連れて訪れていることに、シバは色めき立った。
「ここがサファリゾーン併設の遊園地、ナデシコパークです」
 一つ結びのひっつめ髪を揺らしながら少女が微笑む。
 ここで彼女がとびきりお洒落な格好をしていたのなら、年の差はあれどデート――と言えなくもない。しかし、ビビッドピンクのショートパンツに同色のラインが入った黒のトラックジャケット、チャコールグレーのレギンスというスポーティな姿は、とてもデート向きではなく、ジョギングやポケモンのトレーニングついでにここへ寄った経緯が容易に想像できる。この遊園地は入場無料、アトラクション毎に料金を払う仕組みなのでそれが可能だ。
「来年の中頃まで改装するサファリにあわせて、ここのアトラクションも一部リニューアルするんです。だからあちこちにシートが掛かって風情もないですね」
 アンズは園内を見渡しながらそう説明した。
 なるほど、やけに客が少ないのは時間帯だけではないのか。お陰で四天王が変装をしないで歩いていても、騒がれないのは幸いである。
「うーん、改装前なら楽しめるんですけど……なんだかすみません。こんな時期なのに父がシバさんを案内しろって言うから。さっさと歳の市へ行きましょう」
 『準備中』だらけのアトラクションに囲まれ、肩身を狭くしながらアンズが頭を下げる。シバは慌てた。
「いや、それは構わん」
 むしろ、我儘を通したのはこちらなのだから。

 今年の夏にセキエイリーグのトレーナーが自分抜きでセキチクシティの夏祭りへ行ったことを根に持っていたシバだったが、キョウは「来年の祭りには是非参加してくれ。案内するから」と申し出てくれた。祭りを待たずに飛びついた結果がこれである。今はサファリが改装中で街の魅力が半減していると説明されても、祭りよりオフシーズンの空いた時間に観光する方が効率的だとシバは考えた。そこで十二月第三週の平日を指定したのだが――
「すまないが、その日は地元支援者の挨拶回りで手一杯だ。それにお前、夏祭りに行きたいんじゃなかったのか?」
 キョウは時期を考えろと言わんばかりに呆れていた。
「やはりシーズン中は休めないからな」
 きっぱり告げると、隣で聞いていたイツキがちくりと嫌味を言う。
「だから誘わなかったのに」
 ロッカールームに冷笑が広がった。シバはなおも食い下がる。
「だが、セキチクは有名な観光地だ。一度くらいは見て回りたい」
 ソファスペースでコーヒーを飲んでいるワタルの視線が痛い。彼は何かを察したらしい。だが、あわよくばアンズに会いたいなんて下心はない。オフシーズンだし、たまには羽を伸ばしたいのだ。
 すると事態は思いもよらぬ幸運をもたらした。
「お前がそんなことを言いだすなんて珍しいな。サファリは休みだが、師走のその時期は歳の市が立つからそれなりに楽しめるだろう。俺の代わりに娘に案内させるよ。冬休みで暇してるだろうから」
 キョウの親切にシバは仰天し、耳をそばだてていたワタルも腰を浮かせる。ロッカールーム内の空気はくっきりと二分していた。唖然とする二人に対し、イツキはのんびりとシバを羨む。
「いいなー。僕も行こうかな」
「お前は来なくていい」
 すかさずストッパーをかけるシバに対し、イツキはむっとしながら反発する。
「シバと一緒に行動するなんて言ってないし! ねえ、そのお祭りっていつまであるの?」
「その週末までだな」
 よかった、それなら別の日を選ぶよ――なんて会話を続けるイツキとキョウを前に、シバはこっそりと胸を撫で下ろす。この様子を後ろで眺めていたワタルの視線が気になるが、勿論、変な気は起こさない。

 起こさないつもりだったが――
「せっかく遊園地に来たんだし、シューティングゲームでもやります? 営業中のアトラクションの中では一番面白いですよ!」
 なんて満面の笑顔で誘われると理性が揺らぎかける。
 ほんの一瞬迷ったが、少しくらいなら問題ないはずだと素直に乗ることにした。二人分のチケット代を払う際、係員にぎょっとされたが、見ないふりをしてシューティングゲーム『サファリ・レスキュー』へと入場する。誰も並んでいなかったので、二人はすぐにジープを模した乗り物へ乗車するよう促された。客はサファリゾーンを警護するレスキュー隊となり、備え付けのレーザー銃で侵入者を追い払えばいいらしい。それぞれの的には点数が割り振られ、一定以上の合計点で景品が出る。的になる侵入者は『サファリのポケモンをさらうため、並行世界からやって来たUMA』という設定になっており、人ともポケモンとも似つかない二足歩行のエイリアンだ。
 アンズは遊び慣れているのか、ショットガン型のレーザー銃を意気揚々と構えている。スポーティな格好と相まって何ともキュートだ。
「最高ポイントの的は滝エリアでミニリュウを狙うエイリアンです。あたしもなかなか撃てなくて。頑張りましょうね!」
 ワタルなら即座に撃ち抜きそうな的だ。
 スタートのシグナルが鳴り、車体が揺れてゆっくりと動き出す。入口のゲートをくぐると、そこにはサファリゾーンを再現したと思われる草原の風景が広がっていた。作り物の草むらがざわめき、中からエイリアンの的が飛び出してきた。その方向に銃を構えていたシバは即座にレーザー銃の引き金を引く。アトラクション内にエイリアンのうめき声が響いた。
「ナイスです、シバさん!」
 アンズがシバの隣に駆け寄り、次に現れた的を撃ち抜いた。鮮やかな腕前にシバは唸る。
「なかなか反応が良い」 
「何度も遊んでますから。シバさん、次!」
 アンズはシバの腕にぽん、と触れて反対側の的を狙う。それに戸惑う間もなく乗り物は進み、エイリアンが次々と現れる。野生ポケモンの群れに遭遇した時のような対応の忙しさだ。片っ端から撃っていくと、やがて風景が水辺に変わり滝の音が聞こえてきた。
「もうすぐミニリュウハンターが現れますよ」
 狙うは最高ポイント――ミニリュウの人形が水面にぼんやりと現れたとき、奥に流れる滝の向こうで小さな影が揺らめいた。アンズが声を発する前に、シバがレーザーを向ける。甲高いエイリアンの悲鳴が耳を震わせた。
「やったー! ナイスです!」
 アンズが飛び跳ねながら右の掌をこちらに向ける。一瞬、何を要求されたのか分からず、的を二つほど見逃した。すぐにそれは理解できたが、狼狽えながらハイタッチに応じている間にエイリアンを五体もスルーした。こちらを嘲笑するような鳴き声が不思議と心地良い。それから持ち直し、二人は今日のアトラクション内で一番の記録を叩き出した。
「やりましたね! その日のハイスコアを更新するたびにエイリアンのカードが貰えるんですよ」
 係員から手渡された報酬はミニリュウを狙うエイリアンのカードだ。全十種類あるらしい。アンズは別のエイリアンのカードをぴらぴらと扇ぎながら、弾んだ声で背伸びする。
「楽しかったー! こんなに楽しく遊んだのは久しぶりです」
「父親とやると違うのか?」
「父は同じ的しか狙わないので。高得点の的をいつも同じルートで撃つんですよ。効率重視でつまんない」
 なるほど、彼らしいやり方だ。
 シバはジーンズのポケットにカードをしまいながら納得する。
 
 一つ結びの髪を揺らしながらサファリ・レスキューを離れるアンズの足取りは軽い。このまま別れるのを名残惜しく思っていたら、彼女がきらきらした両目でこちらを振り向いた。
「よかったらあと一つか二つくらいやりませんか? そこのゲームコーナーは小銭で遊べるので」
 屋台のように並ぶスポーツゲームコーナーを指しながら、アンズは興奮気味にシバにせがむ。十二歳とはいえまだまだ子供、案内を任されていても遊園地の誘惑には弱いようだ。緩みかける頬を引き締め、シバは余裕を装いながら頷いた。
「構わないが……」
 言い終わる前にアンズはゲームコーナーへ飛んでいく。慌てて後を追った。ちょっとしたデート気分を楽しんでいたつもりが、これでは保護者だ。
 フリースローやストラックアウトなどのスポーツゲームが並ぶ中でアンズが選んだのは、サンドバッグを殴ってパワーを計測するパンチングマシンである。
「シバさん鍛えてそうだし、これやりましょう!」
 アンズはシバの返答を待たずに硬貨を入れ、備え付けのグラブを装着する。
「まずはあたしから」
 マシンから二歩下がり、サンドバッグが立ち上がった瞬間に腕を伸ばして的を叩く。ぱしん、と軽い音がしてサンドバッグが小さく揺れた。まるでピィの「はたく」だ。こんな姿も可憐だが、シバはそれより動作への不満が上回る。
「踏み込みが甘い。それからパンチは腕だけ出すのではなく、上半身を捻るように繰り出すと良い」
 さっとアンズの横に立ち、肩幅に足を開いて手本を見せると、彼女はやや戸惑いながら「なるほど」と小さく頷いた。格闘家と見紛う大男のレクチャーに周囲の関心が集まり、やがて彼らに正体が判明してもシバは意に介さない。今はアンズにより強力なパンチを教える時なのだ。
「それを踏まえてもう一度」
 彼女は吃驚して目を見開いたが、シバの気迫に押されてもう一度コインを入れる。
「い、いきます!」
 マシンから一歩半下がって適度に足を開き、アンズは小さく息を吐いた。腰を落とし、上半身を捻りながらの右ストレート。拳に重い衝撃が走り、サンドバッグが大きく傾いた。その結果は数字にも表れており、スコアは先ほどの二倍である。
「すごい、スコアが増えました」
 戸惑いながら喜ぶと、後ろからぱらぱらと拍手が沸いた。シバの姿を目に留めた客が二十人ほど集まっていたのだ。アンズは途端に気恥ずかしくなり、急いでグラブを外してシバに渡す。
「次、シバさんどうぞ!」
 シバはそれを受け取ると、グラブに残された温もりも忘れて速やかに装備し、マシンの前で両腕を構える。ハナダの洞窟で受けた怪我が完治して以降、ポケモンの訓練を優先し、自身はまだサンドバッグに向き合っていなかった。これは退院からの一発目だ。呼吸を整え、神経を前だけに集中させると周囲の音が消えてなくなる。そこで足を踏み込み、身体を捻りながら抉るようなパンチを繰り出した。豪快な音とともにサンドバッグが跳ねてカウンターが最高得点を表示する。それを見て、ギャラリーは興奮を口にしながらの拍手喝采。これはシバにとっては日常なので特に相手にはしない。パンチングマシンは気に入った。
「この装置、ポケモンのトレーニングにも使えそうだな」
「シバさんのポケモンならすぐに壊しちゃいそうですけどね」
 アンズが後ろを気にしながら苦笑する。
 すると、倍に増えた野次馬の中から少女の甲高い声がした。
「アンズちゃん!」
 人をかき分けながら最前列に現れたのはアンズと同じくらいの年の少女が二人。アンズの反応を見るに、どうやら同級生のようだ。
「え、なに? 四天王とデート?」
 シニヨン頭の少女がこちらに半信半疑の目を向ける。
 そんなつもりはないのだが、間違われても悪い気はしない。
「そう見えるの?」
 アンズはきょとんとした後、不思議そうにこちらを向く。即座に否定すればいいのに、返答に困る反応だ。シバは何も言わずに視線を逸らし、ファンサービスを待ち望む群衆を拒むようにその場を離れる。
「後は友人と過ごすといい」
 客が少ないから楽しんでいられたが、多くの人目に付いた以上、長居は出来ない。足早に遊園地を去ろうとすると、「待ってください」とアンズが追ってくる。
「あっちは二人で遊びに来ているので、無理やり入れませんよ」
「そういうものなのか」
 その感覚がシバにはよく分からないが、二人きりの時間を引き延ばせたのは幸いだ。できればあと一つくらい、アトラクションを楽しんで帰りたいものだが――即座に目に留まったのは、この遊園地で最も目立つ石竹色の観覧車だ。ブーケを思わせるロマンチックなペイントが恋人たちを招きよせ、稼働中のアトラクションでは一番の行列を作っている。
 シバの視線の先に気づいたアンズが、その観覧車にまつわる噂話を口にした。
「あの観覧車、カップルで乗ると別れずに幸せになれるらしいです」
 秘めた想いを揺さぶるような話題に心臓が跳ねる。
 今とはいかずとも、いつか一緒に乗ることが出来たら。息を呑むシバに、アンズがさっぱりと白い歯を見せた。
「でもここでデートしたうちの父は離婚しちゃったので、信憑性はないです」
「た、確かにそうだな」
 シバは甲斐性なしの同僚をひどく恨んだ。
「多分、ここにデートに来ても観覧車には乗らないんじゃないかなあ。縁起が悪いですからね」
 当然だが、この付き合いはデートとしてカウントされない。
 改めて自覚すると頭が冷え、これ以上二人で行動してもむしろアンズに迷惑だと気付く。
「……何か飲んで解散するか。この後は、おれ一人で歳の市へ行く」
「いいんですか?」
 彼女は目を丸くする。
「休憩なら外のカフェがおすすめですよ。紅茶とマフィンが美味しいんです」
 お父さんにも買って帰らなくちゃ、とアンズは嬉しそうに微笑んだ。

+++

 年の瀬のスタジアムは保守を担当するスタッフが減るので薄暗く、静まり返っていて堪える寒さだ。そんな雰囲気は地元フスベの竜の穴を彷彿させた。ワタルはベンチ前で手持ちの紅白戦を終えたカイリューの調子を確認する。
「うん、問題なし」
 艶やかな黄金色の皮膚を撫でながら、相棒に笑いかける。
「今年もあと少し。年末年始はゆっくりしよう」
 カイリューが嬉しそうに頷いた。
 そのまま腕時計に視線をやると、昼の二時を少し過ぎている。今日は四天王も全員休みだし、このまま自宅へ帰ろうと踵を返した時、ベンチ奥の通路から足音がしてシバが現れた。長袖のシャツにジーンズ姿は休日の装いである。
「半休だったか?」
 全休の報告を受けていたワタルは吃驚する。
「半休だ」
 シバが断言しながらベンチに腰を下ろす。
 だが、きっと嘘だ。
 今日はセキチクシティを観光する予定だったはず。あの街は観光地なので、半日で手持ち無沙汰にはならないだろう。何かあったのかと不安になり、ワタルは最も気がかりなことを尋ねた。
「本当にアンズちゃんが案内を?」
「適当に回ってすぐ別れた」
 半信半疑になっている自分の顔を見て、シバが言い足す。
「デートのつもりだなんて思ってないからな」
 それならよかった、とワタルはカイリューと顔を見合わせる。すると二人の間を割るように、シバが小さな紙袋とホットの缶コーヒーを突き出した。
「これは土産だ。コーヒーはそこで買った」
 紙袋から漂うチョコレートの香りに惹かれて中を覗くと、ココア生地に大きめのチョコチップが練りこまれたマフィンが二つ入っていた。
「ありがとう。ちょうど小腹が空いていたんだ」
 ぐっと顔を寄せるカイリューにマフィンを半分やって、残りを齧った。しっとりとしたココア生地に甘さ控えめのチョコチップがいいアクセントになり、印象的な味わいだ。
「これは美味い! セキチクへ行った時のいい土産になるな。身内にチョコ好きがいるんだ」
「腹に入れたら手合わせを頼むぞ」
 シバはベンチでバトルの準備を始めている。選定した手持ちポケモンのボールをベルトに装着し、袖をまくって立ち上がった。
「休んだ分を取り戻さねば」
 その場に居なくとも何事もなかったのが分かる、いつも通りの姿にほっとする。そして、ほんの少しだけ呆れた。
「はいはい、了解」
 ワタルはコーヒーを飲み干すと、空き缶と丸めた紙袋をベンチに置いてバトルフィールドの反対側へと歩み出した。

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