うちのネイティオ 知りませんか?

「あの、皆さんにお願いがあるんですけど」
 イツキがやけに神妙な面持ちだったので、四天王はロッカールームでくつろぐのを止めて彼に向き直った。
「なぁに? リーグの出番を変えて欲しいの?」
 ソファの上で足を組んでいたカリンが緊張を和らげるように冗談めかした。けれどもイツキの顔はこわばったままだ。顔色も悪いし、額には汗が滲んでいる。心配したキョウが腰を浮かせた。
「どうした。体調が悪いのか」
「いえ、ボクは問題ないです。リーグの順番も今はこのままで……それよりお願いしたいのが」
 イツキは大きく深呼吸して、震える声ではっきり告げた。
「ボクのネイティオが居なくなってしまったので、探すのを手伝ってもらえませんか?」
 部屋の空気が凍りつく。
 四天王の顔から血の気が引き、イツキと同じ表情になった。
「それってあなた……」
 と、カリンは絶句し、
「ネイティオはお前の相棒じゃないか。四天王の地位に関わる大ごとだぞ」
 シバは頭を抱え込む。
「で、ですよね……」
 イツキは必死で苦笑いを作りながら天井に視線を移した。予想以上の反応を受け、同僚を直視できない。
「いつから居ないんだ」
 神妙な顔をしながらキョウが尋ねる。イツキはそわそわと両手を絡ませながら、きまり悪そうに答えた。
「あの……よ、四日前から……」
「四日!? どうして今日まで黙っていたの? ポケモンリーグは試合数も多く、その上あなたは一番手なのに気楽すぎない?」
 カリンに声を荒げられ、イツキは思わず萎縮する。けれども無責任に放置していたわけではない。
「実は、ネイティオが居なくなることは前からあったんです。三日居なくなったと思ったらある日同じ場所にフッと戻っていて……ネイティオは気まぐれな性質がありますから」
 その時は未来を旅行していたのかも、と言い聞かせながら帰りを待った。戻ってきたネイティオは普段通り、しれっとしていたから本当にそうなのかもしれない。しかし今はそんな冗談で濁せる空気ではない。
「三日か」
 キョウが顔をしかめ、
「それでも随分と悠長だな」
 シバも呆れている。彼らの現実的な反応が焦燥を掻き立てる。
「でも、四日も居なくなることはなかったんです。だから、これはいよいよマズイなと……」
「二日居なくなるのも大変なことよ。あなた達とはセキエイリーグにおいて、四天王という一つのチームで戦っているとも思っているわ。だからもっと早く報告して欲しかった。ネイティオがあなたの相棒なだけにね」
 カリンの真摯な眼差しを受け、イツキの胃の奥に酸っぱいものが広がった。ネイティオのことで頭がいっぱいで、そこに気が回らなかったのは確かだ。
「すみません……」
 相棒は失踪し、リーグには迷惑をかけ。踏んだり蹴ったりで息苦しい。
 落ち込むイツキを見かねたシバが、重苦しい空気を払拭するようにフォローした。
「まあ過ぎたことは責めても仕方ない。ネイティオは何を考えているのかよく分からんポケモンだ。それにしても、よく相棒なしで戦えていたな」
「それはまあ、他の手持ちも強いですから」
 何の悪気もなく答えると、カリンは大げさにムッとしながらそっぽを向いた。
「じゃあそれで戦えば」
「探すの手伝ってくださいよー」
 イツキは慌てて懇願したが、部屋の空気は先ほどより少しだけ軽くなっている。

+++

 多くのネイティオがそうであるように、イツキの相棒もバトル以外はほとんど動くことがなく、日がな同じ場所にいることが多かった。
「そうかと思えばボクが住んでいるマンションのベランダに移動して夜を明かしたり、先にロッカールームに戻っていたりとか……長い付き合いだけど思考が読みづらいんです。最初は苦労したものの、今は開き直ってネイティオはこういう子だと理解するようにしています」
 ネイティオの性質や失踪エピソードを語って聞かせると、同僚達は意外にすんなり納得してくれた。お互い、多くのポケモンの育成に携わっているからだろうか。
「それで四日も失踪していると。それなら明日には出てくるかもね」
 カリンが納得を通り越して楽観しているので、イツキは慌てて身を乗り出した。
「でも四日なんて本当に初めてですよ! リーグの試合で勝ってから消えて、それっきりなんです」
「これまでは大体どの範囲まで家出しているのか分かっているのか?」
 キョウに尋ねられ、今度はその話に食いついた。
「そう、それなんですけど。今までは居なくなっても必ずボクの生活圏内に戻ってくるんです。ここから少し離れたトキワや賑やかなコガネで見つかった例はなく、遠くには行っていないような気がするんです。基本的に仕事の日は家とセキエイの往復、休みの日も自宅で過ごすかチャンピオンロードで鍛えていることが多いのでそこを全て張っていれば見つかるんじゃないかと……そこでですね」
 イツキはロッカーに駆け寄ってバッグを掴むと、タブレットを取り出して起動した。あるアプリを起動すると、十六分割された監視カメラの画面が立ち上がる。映しているのはすっきりと整頓されたマンションの一室だ。
「家のあちこちにカメラとポケモンの体温を感知するセンサーを設置して、ネイティオが自宅に戻ってきたら携帯に通知が来るようにしているんですけど、この四日は反応がありません」
 万全の監視体制に同僚達は少し引いた。それでもシバはキョウを意識しながら感心したように言う。
「ほう、さながら現代の忍者屋敷だな」
「実は引っ越したばかりの頃に空き巣に遭ったのでこれらの装置や死角を作らない設置場所をキョウさんに教えてもらったんですよ。お陰様でそれ以降は被害ゼロです。ありがとうございます」
 イツキはにこやかに礼を言うが、想定外の用途にキョウはすっかり呆れている。
「それが今じゃネイティオの監視に使われていると」
「泥棒も防げてネイティオの帰宅も分かるから一石二鳥なんで……」
「しかしこの場合、ネイティオがテレポートでリビングの中央に現れるとセンサーは作動しないぞ。あれは外からの侵入を想定して、窓やドア付近に取り付けているからな」
 イツキは目を見開き、タブレットにかじりついた。
「えっ! じゃあ四日の間に家にいた可能性もあるのかな?」
 だから反応がなかったのか──それに気付いていれば初動も違ったのに。蓋をしていた焦燥がまたじわじわと込み上げ、手のひらが汗ばむ。
 余裕のないイツキを見て、カリンがその手からタブレットを奪い取った。湿っていたからつるりと抜けた。
「それならあたくしがモニターを監視してあげるから、リーグの建物内やチャンピオンロードを探してきなさいよ」
 彼女はタブレットを手にソファに腰を下ろして優雅に足を組んだ。ヒールで動き回るのは嫌らしい。そばにブラッキーを呼び出して、膝の上で一緒にタブレットを監視させている。
 それを見てキョウもクロバットをボールから繰り出し、スカーフを翻しながらロッカールームの出入口へと歩む。
「ではチャンピオンロードの洞窟を請け負おう。クロバットがいれば探しやすいからな」
 その背中をシバも追った。
「あそこは広いからおれも同行するぞ。イツキはリーグ内を探せ。お前の手持ちの力を頼れば見つけやすいんじゃないか」
 速やかな対応に胸の奥が熱を帯びた。一人で四日も悩むべきではなかったのだ。
「皆さん、ありがとうございます! 本当に、何と言ったらいいのか……」
 何度も頭を下げるイツキに、カリンが素っ気なく告げる。
「そういうのは見つかってからね。早く行きなさい」
 細い指先でひらひらとあしらわれ、イツキは急いで部屋を出た。廊下でサーナイトを繰り出し、並走しながら念力を命じる。
「君のテレパシーでネイティオの念を感知できないかな。頼むよ」
 サーナイトはお辞儀するような仕草をして頷いた。

+++

 ひんやり涼しいチャンピオンロードの洞窟内をクロバットが居心地良さそうに飛んでいく。ひらひらと舞いながら超音波を発し、練習試合で戦い慣れたネイティオの輪郭がエコーとなって返ってくることを期待したがその反応はない。
 クロバットは耳を折り、しょんぼりした態度で主人の元へと帰還する。
「このエリアにはネイティオがいないようだ。奥を調べてみるか」
 クロバットの反応を見たキョウがシバに言う。
「それならおれは外を周ってみよう」
 行動を共にするより、二手に別れた方が早いだろう。シバはカイリキーをその場に繰り出した。相棒はいつでも自分の後ろをついて来てくれる。それはクロバットも同様で、ちょっとよそ見して主人と離れると、たちまち彼を追いかけて飛んでくる。それは長年の訓練の賜物だが、それでも四日も失踪するポケモンがいるなんて驚きだ。
「全く、天気屋のポケモンを持つトレーナーは大変だな」
 キョウが擦り寄ってくるクロバットを撫でながら苦笑いする。シバもにやりと頷いた。
「確かにな。三日居なくなることは少なくないようだが、たった一日超過しただけであの焦りよう。あいつもなかなか翻弄されている」
 ロッカールームでは顔に平静を貼り付けていたが余裕のなさは明白だ。

 セキエイリーグの廊下を撫でるように風が駆け抜け、壁に貼られたポスターがぱりっと音を立てた。そこに少しでもネイティオの思念が残っていればサーナイトが反応するのだが、どこを歩いても彼女の様子は変わらない。肩を落とすイツキを見て、サーナイトは呆れた風に肩をすくめた。あのマイペースなエースには困りものですね、とでも言いたげだ。
「ネイティオはそういう子だからね。でもきっと帰ってくるよ」
 手持ちの前では理解を示す態度をとる。そうしなければチーム内の信頼関係が崩れてしまう。ネイティオはエースのポジションなのだから尚更だ。サーナイトは納得したように頷き、主人に捜索を促すよう手招いた。
 ロッカールームからスタートして関係者エリアをくまなく探し、リーグトレーナーに割り振られたバトルフィールドも見て、ポケモンセンターが併設されたエントランスにも居ない。同僚からの連絡もなし。時間が過ぎるにつれ焦燥も募り、やがて日も傾いていく。廊下の窓の外の薄れた空が視界の端にかかるたび、胸の鼓動が不安定になるのが分かる。
 今日は帰ってくるだろう。いや、もしかしたら。サーナイトが不安げにこちらを見つめている。
「こんなに念力を使っても見つからないとなると外にいるのかもしれないね」
 無理やり笑って、エントランスから外に出ることにした。ネイティオを強く意識するあまり、
「イツキくん、お疲れ」
 と、すれ違ったワタルにも気付かなかった。

+++

「写真を眺めているみたい」
 カリンは無人の部屋を映し続ける十六分割のモニターを前にため息をついた。小さな画面を三時間以上も眺めていると目はひりひりと疲れを訴え、コーヒーを何度も口にしても集中力が落ちてくる。膝の上で一緒に監視していたブラッキーはとっくに飽きてソファの下で眠っていた。
 すると控え室のドアがノックされ、ブラッキーの耳が軽く反応する。
「お疲れさま」
 顔を出したのはワタルだ。
「皆居ないね。帰ったの?」
 彼はカリンとブラッキーしか居ない部屋を見渡し、中へ入る。
「イツキのネイティオを探しに出ているの」
 カリンはソファに足を預けたまま答えた。
「四日も姿を見ないんですって」
「なるほど。マイペースなポケモンだからトレーナーは大変だな」
 ウォーターサーバーの水を飲むワタルはネイティオに理解を示している。チャンピオンは四天王と立場が違うから、そうやって悠長に構えていられるのだろうか。あるいは他人事に見えなくもない。
「もし……」
 カリンはゆっくりと切り出した。
「このままネイティオが居なくなっちゃったら。その時はどうなるの? あの子は四天王の相棒よ。戦力低下は免れない」
 不安を見せつけるように視線を滑らせる。この世界は実力主義だ。
「それはリーグの判断次第かな。場合によっては除籍もやむなしだろう。オレも仕事が片付いたら捜索を手伝うよ」
 ワタルは口元を緩ませて水を飲み干し、コップを捨てて控え室を出て行く。
 ポケモントレーナーはポケモンがいなければ成り立たず、結果を出せなくなればそれまでだ。カリンはコーヒーを口にすると、変化のない監視作業に戻ることにした。視界に入ったブラッキーに一応、釘を刺しておく。
「あなたは居なくならないでね」
 ブラッキーはあくびでふわっと返すだけ。

+++

 イツキはエントランスを出て駐車場や通用口、ゴミ捨て場をくまなく探したがネイティオの気配すら感じ取ることはできなかった。壊れていないのに腕時計の針はいつになく早く進んでいき、次第に空に橙が混ざり始める。カリン達からの連絡もないからまだ見つかっていないのだろう。
 サーナイトは念力を酷使するあまり、さすがに疲労をたたえていた。心配になってきたが、それでもまだ探していない場所はある。
「あとは……裏手の庭園になっているところくらい?」
 ポケモンはふう、と深呼吸して背筋を伸ばした。今日はこれで最後です、と言わんばかりに気を高めてから念力を解き放つ。リーグ裏手に造られた庭園内の木々や花壇の花がかすかに揺れて、引かれた水路の水面が逆方向に波打った。建物の窓に取り付けられたリーグの旗もばらばらにはためく。そうして隅々まで念を発してネイティオの気配を拾おうとする。少しでも引っかかってくれたら──祈るイツキに報いるように、何かを感じ取ったサーナイトが興奮しながら肩をたたく。
「居た!?」
 サーナイトは建物の裏手を指した。庭園からエントランスへと回り込める細い路地を指した。そこはダクトや室外機が密集しているので入るには時間が掛かるからと、まだ探していなかった場所だ。
「行こう!」
 イツキは真っ先に石畳を蹴ってそちらへ駆けた。おそらく相棒は自宅でもそうしているように、室外機の上に乗って空を眺めているのだろう。建物の外壁や室外機に囲まれた灰色の景色の中に鮮やかなネイティオが佇んでいる姿を予想する。
 見つけたよ、そこは居心地がいいのかい?
 まずは何事もなかったように声をかけてあげることにしよう。いきなり叱るのは悪手だ。結局、叱責することはないと思うけど──想像すると気持ちが高ぶり、焦りと再会の興奮で身体がひりひりと熱くなる。
「ネイティオ……」
 足を踏みしめ、路地に飛び込んだ。
 広がっていたのはリーグの壁と室外機でほとんど埋められた灰色の景色だけ。
「あれ?」
 イツキがサーナイトを振り向くと、彼女も驚愕の表情で青ざめていた。ネイティオの念が消えてしまったようだ。
「でも、確かにここに居たってこと?」
 震える声でサーナイトに詰め寄る。冷静にならなければ、と思いながらも自分はひどく怖い顔をしているに違いない。仮面で隠していたってエスパーポケモンにはお見通しだ。この落胆がよく伝わっている。
 ネイティオはそれぞれの目で過去と未来を見ていると言われている。君が突然居なくなって三日後、また同じ場所に戻ってきた時は未来を旅行してきたのではないかと思ったりもした。あの日も気が気でなかったけど、そう言い聞かせていた。自分は君の性質を理解しているつもり。だから拘束するつもりはない。過去や未来の方が居心地がよく、そこで新しい出会いがあったとしたら自分の元を離れてしまうのも仕方がないと思う。
 けれども、ボクと君は十数年来の付き合いじゃないか。君のバディとして、最後に別れくらい言わせてくれよーーー。
 噛み締めながらももう一度顔を上げようとすると、聞き慣れた声が降ってきた。
「いたよ、イツキくん」
 路地を覆う影が一層濃くなって、イツキの髪がふわりとなびく。空を仰ぐとカイリューに乗ったワタルがいた。イツキは何を話しかけられたのか忘れてしまった。
「はい?」
 もう一度尋ねると、ワタルは主語を付け足して言い直す。
「ネイティオ。見つけたよ」
 イツキは目を見開いた。灰色の景色の彩度が上がる。
「どこにいるんですか」
「上」
 ワタルは空を指した。
「リーグの屋根の上」
 慌ててそちらを見ようと背を伸ばしたが、ポケモンリーグの建物はビル十五階以上に相当する高さがあり、この場所からではネイティオの尾さえ確認することができない。
「よかったら送っていくけど」
 ワタルがこちらを見下ろして微笑む。イツキの手持ちの中ではネイティオ以外空を飛べない。すぐに室外機に飛び乗り、
「お願いします」
 と、カイリューの前に身を乗り出した。後ろでサーナイトがはらはらと見守っていたが、「そこで待ってて」と目線を送って彼女を制する。その直後、視界が大きく揺れて空とカイリューの腹だけになった。抱きかかえてくれたらしい。自軍のエスパーポケモンに同じことをされた経験がないので、手の置き場に困ったイツキはベルトの上で指を組むことにした。
「カリンから聞いたんだよ。君がネイティオを探しているとね。その後、カイリューと飛んでいたらたまたま見かけたから」
 カイリュー越しにワタルが笑う。何故か早口で喋っていたが、イツキは特に気に留めなかった。ラッキーだったな、と思ったくらい。
「あんなところに登るのはオレとカイリューくらいだと思っていたのに。よく見つけられたな」
 ワタルが苦笑し、風にマントがひらめいた。
 ポケモンリーグの優勝旗が誇らしげに翻っているようだった。
 そのうちにカイリューはリーグの最上階まで飛翔し、円錐型の一番高い屋根まで近付いた。ここはおそらく、殿堂入りの部屋の真上だ。屋根の反対側で鮮やかな羽毛がゆったりと揺れている。散々見慣れた赤と緑。イツキは息を飲みながら身を起こした。命綱もない状態でカイリューの腕から屋根へ乗り移るのはヒヤリとしたが、そこにいるのが相棒ならば万が一になっても対応できるだろう。
「じゃ、オレはこれで。気をつけて」
 イツキが屋根に移動したのを見届けて、ワタルはカイリューを切り返す。また、風にマントが大きく翻った。やはりそれは旗に見える。栄光の旗を背負った王者のようでイツキは自然と身震いした。
「ありがとうございます」
 イツキの会釈にワタルは右手を上げて応えると、そのまま地上へとカイリューを翻す。
 そして辺りは黙りこむネイティオを尊重するかのように大人しくなった。屋根を抜ける風が穏やかになり、ポケモンは心地よさそうに空を眺めている。イツキがよく見かける光景だ。
 一瞬だけ、この場を去っても良い気もしたが、すぐに思い直した。
 先ほど準備していた言葉をかけるのだ。イツキは口を開き、
「探したんだよ」
 早口で言った。
 身体の奥から熱がこみ上げ、思いもよらぬ言葉を紡ぐ。いや、これはただの本音だ。
「四日も居なくなって。どこで、何をしていたの? 皆、君のことを心配して探してくれていたんだよ。君はいつもそうやって突然いなくなるけど、周りの気持ちを考えたことはある? 君はボクのチームのエースで、君の仕事はポケモンバトルで、そこに穴を空けることがどれだけ大きいか少しは分かってくれよ」
 ネイティオを責めても仕方がない、むしろ逆効果なのかもしれない。分かってはいるが、これまで募らせた焦燥や不安、同僚にかけた迷惑や心配をかけた他の手持ちの気持ちを考えるとその苦労を少しでも理解して欲しかった。
 しかし、ネイティオは少しも動かずに前を向いたまま。相変わらずの我介せず。
 これが相棒の性質なのだ。
 分かってはいるけど──イツキは叱責を重ねたい唇を引き結び、深呼吸してもう一度尋ねた。
「ずっとここにいたのかい」
 するとネイティオはようやく顔をこちらに向けた。イツキの顔をまじまじと見つめて、また空へと向き直る。まるで、視線をそちらに誘導しているかのように。
「もしかして」
 イツキはネイティオと同じ方を向いた。
 標高の高いセキエイ高原の、更に高い建物から見下ろすのはチャンピオンロードを始めとするカントー地方の壮大な景色。それが日暮れのベールに掛かり、黄金色に輝いている。
「この景色をボクに見せるために?」
 そう尋ねても、ネイティオは無言を貫いたまま。けれども主人と同じ景色を見られて満足そうだ。きっと自分がここに来るまで気長に待っていたのかもしれない。
「綺麗だけど……」
 イツキは呆れながらももう一度前を向いた。金色がかった地図のように広がるカントーの風景にワタルのマントを重ねてみる。
 このカントーの頂に登ってくるのはワタルとカイリューくらいだと言っていた。頂点の景色はこんなにも美しい。
「いや、本当に綺麗だ」
 イツキは何となくネイティオの意図を理解した。
「いつかチャンピオンになって見る景色はこんな風なのかもしれないね。また、その時に一緒に見ようじゃないか」
 そう言いながらネイティオを振り向くと──相棒がその場から消え失せた。テレポートでどこかへ消えた。
「え?」
 屋根には目を丸くするイツキだけが残る。
「えええ!?」
 夕日はみるみるシロガネ山へと消えていき、薄暗い紺碧の空に肌寒い風が吹き抜ける。命の危機を再び実感した時、パンツのポケットに差し込んでいた携帯が鳴った。指先は冷たく震えてそれを取るのさえ命がけだ。着信はカリンからだった。
『イツキ、あなたの家にネイティオが戻ってきたわよ! 止まり木でくつろいでいるんだけど、のんびりしているわねー』
 興奮気味にまくし立てるカリンに被せるように、イツキも現状を並べ立てる。
「あ、はい、それは良いんですけど、ボク、ちょっと、リーグの屋根の上から戻れなくなって……空を飛べる手持ちもいなくてですね……」
『どういうこと? 唐突すぎて意味がわからない』
「あのー、ワタルさんまだ居ます? 迎えにきてほしいんですけど……そう言っていただければ分かると思います! ワタルさーん!」
 満足したらひとりで勝手に帰っていくなんて、ネイティオはやはり何を考えているのか分からない。彼女はこの先も変わることがないし振り回され続けるのだろう。
 イツキは円錐型の屋根にしがみつきながら、もう一度だけ周りの景色を見た。薄闇の中にチャンピオンロードの山々と、その先には明かりが散りばめたカントーの街並み。それを目に焼き付けて、高らかに助けを叫んだ。
「ワタルさん、早く助けて!」

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