慰安旅行と海の神

 近年、アサギシティは開発が進み、日が落ちても随分と華やかになった。名物の灯台に劣らぬほど美しい夜景の中で、海外出店の洒落た店舗が大通りに立ち並ぶ。その中で一際目立つのが三ヶ月前に開業したばかりの複合商業施設だ。上層階がホテル、低層階はショッピングモールになっており、通りに面した一階の半分が大きなレストランになっている。
 吐き出し窓には洒落たデザインで『バトルレストラン』と描かれており、通りを行き交う人々が物珍しそうに中を覗いていく。テーブル席やキッチンにぐるりと囲まれ、中央にバトルフィールドが作られた奇妙な内装だ。入口に置かれたイーゼル看板によればアローラ地方から国内初出店のレストランらしい。
 店内の隅にある奥まったテーブル席で、四天王のカリンは肘をつきながら不満げに溜め息を吐いた。
「せっかくの慰安旅行なのに……アローラには行けず、向こうから出店したアサギのレストランで食事なんてね」
 クリップで簡単にまとめた艶やかな髪と黒いさらりとしたワンピースのリラックスした格好を、高価なサンダルやクラッチバックが引き締める。レストランの隅で一際輝く彼女に対し、隣に座るワタルが苦笑する。
「休みがなかなか取れないんだから仕方ないよ」
 カジュアルなレストランだからか、彼の格好もラフだ。足首丈のパンツに襟付きのシャツを合わせ、足元はスポーツサンダル。隣に居るシバもワタルと似たような恰好で、上がTシャツに変わっただけ。店のシステムがまとめられたカードを読み込んでいた彼は、理解と共に顔を上げた。
「だが、ここはポケモンバトルで食事を得る面白いシステムのレストランだ。今日は挑戦者を一人も相手できなかったからな、気晴らしにはちょうどいい」
「ボクとキョウさんで完封しましたからね」
 ぐったりと椅子にもたれ掛るイツキは三人より疲弊している。
 戦い通しでそのままアサギへ移動したのだから無理はない。上だけ柄物のシャツにして、他は普段リーグで着ているパンツと靴というちぐはぐ具合。本当はこの旅行も断りたかったが、自分以外は参加すると言うので渋々付き合うことにした。忙しいリーグトレーナーを労うために本部から慰安旅行が企画されたのだが、スケジュールの都合上、たったの一日。日帰りもいいが、たまにはホテルで休みたいというカリンの希望で仕事上がりに移動してアサギのホテルに宿泊することになった。夕食は建物一階のバトルレストランで取ることになったのだが、ポケモンリーグの一番手は電池切れだ。 
「料理は皆さんで取って来てくださいね。ボクはもう閉店です」
「右に同じ」
 イツキの隣に座るキョウも肩を一度だけ上下させた。二番手の彼は疲れていながらも着替える余力があったらしく、着流し姿が涼しげだ。全く動く気配のない二人を横目に素早く立ち上がったのはカリンだった。腰を浮かせたシバに彼女が微笑む。
「あたくしも暇だったから身体が鈍っているのよね。取ってきてあげる」
 一人で十分、というニュアンスが痛いほど感じ取れる。それを受けてシバは渋々引いたのだが、ワタルは少しだけ食い下がった。
「おれも手伝うけど……」
 ポケモンバトルで料理を得る、というこのレストランの仕組みを楽しむべく名乗りを上げたのだが、
「ダメよ。さすがにマナー違反でしょ」
 すかさずカリンに止められた。
「オーバーキルですよね」
 イツキも頷く。
 それでワタルは諦めたのだが――見送ったカリンはヘルガーを使って他の客のポケモンを一撃で倒していき、十五分の間にテーブルは最高ランクを示す金の皿の料理ばかりで埋め尽くされた。呆れ返る仲間を前に彼女は得意げだ。
「これが評判の良いとっしんステーキ、ミルタンチーズピザ、ラッキーオムレツね。それとうずしお寿司。これだけではカロリーも高いし栄養のバランスが悪いから、次は麻婆ビスナやサラダを確保しなきゃ」
 そう言って彼女はキッチンへと引き返し、ライバルを薙ぎ払うように料理を獲得していく。その姿は一見スマートではあるが、暴れるだけで山を崩し、地形を変えるバンギラスそのものだ。カリンのポケモンバトルを眺めながら、シバはボトルで頼んだ白ワイン片手にピザを齧り、ワタルに言った。
「ふむ、確かにあそこへお前が加わればやり過ぎどころの騒ぎじゃないな」
「そうだな……」
 しょんぼりと頷く彼に、キョウが尋ねる。
「明日はどこへ行くんだ」
 寿司をつまんでワインを飲む姿に食欲がそそられる。ワタルは近くの皿に残っていた寿司に手を伸ばしながら、事前に決めていた予定を告げた。
「灯台を観光して、その後はチャーターしたクルーザーで遊覧しながら船上バーベキューです」
「贅沢ですね。今夜はもう食べ過ぎない方がいいかな? でも明日のお昼にはリセットされますよね。ステーキ美味しいなあ」
 疲労を忘れてステーキを頬張るイツキの前に、新たな皿が並べられる。
「それは良かった。イツキは今日一日頑張ってくれたもの、たくさん食べて英気を養ってね。はいこれ、リンドサラダに麻婆ビスナ、そして特別メニューのローストビーフ!」
 ここにはレストランで用意される全ての料理が運ばれてきているのではないだろうか。ワタルは他の客の悲痛な視線を感じながら、給仕を呼んで最も高いワインを注文した。
「……このワイン、あと二本追加で」
 これがせめてもの罪滅ぼしになればと思う。

+++

「天気が良くてラッキーね。クルージングも楽しみ」
 灯台の展望室から外を眺めるカリンのサングラスにアサギの鮮やかな青空と穏やかな海が映りこむ。黒のタンクトップに薄いブルーのデニム姿が爽やかだ。ベルト代わりに巻いた黄色い柄物のスカーフが潮風にひらりと揺れる。
「こんなに眺めがいいのに、観光客はあたくし達以外いないのね。穴場だわ」
「地元トレーナーのたまり場らしいですからね」
 彼女の隣で海の写真を撮っていたイツキが答える。
 昨日の柄シャツに、デニムのハーフパンツとサンダルを合わせてラフな格好になっていた。男性トレーナーらはホテルにチェックインした後で旅行用の服に着替えて夕食に繰り出したため、昨晩とほぼ同じ格好をしている。昨日と違うのはワタルとシバがカイリューとカイリキーを連れ歩いていることだ。
「普通の観光客じゃ気軽に上がってこられないですよ」
 血の気の荒いトレーナーが多いというこの灯台だが、昨晩の反省を踏まえてワタルとシバが相棒を連れ歩くのみにしたところ、その牽制効果は絶大で、誰も喧嘩を売ってこなかった。
「……戦いのない日は落ち着かんな。隣のバトルフロンティアへ行かないか?」
 不満げなシバにワタルが苦笑する。
「慰安旅行だからね、それはプライベートの日に頼むよ」
 リーグトレーナー以外、誰もいない展望室でイツキの携帯カメラ音だけが響き渡る。
 携帯カメラの精度に限界を感じた彼は、備え付けの望遠鏡にコインを入れてレンズを覗き込んだ。灯台に設置されたパネルによると、この先には海の神・ルギアが住むと言われるうずまき島があるらしい。ポケモンと確固たる絆を結んだトレーナーの前にルギアは現れる──などの言い伝えを読んで期待したが、視界には水平線しか映らない。
「ここからじゃうずまき島が見られないなあ……タンバの方が近いんでしたっけ?」
 すぐに海に見飽きて手すりにもたれ掛っていたキョウが頷く。
「そうだな、距離としては。しかしあそこは船着き場が狭いから、クルーザーで向かう分にはアサギが最適らしい」
「へええ……」
 イツキは顔を輝かせながらワタルを振り返った。
「それならワタルさん、折角なんだからうずまき島も見に行きましょうよ。時間もたっぷりあるし」
「うん、波も穏やかだし、そうしよう」
 間も持つからちょうどいい。ワタルは海に飽き気味の周りを窺いながら胸を撫で下ろした。
 クルーザーが停められた船着き場は灯台の真横らしい。展望室からそちらに視線を向けながら、カリンが尋ねる。
「ところで、誰が操船するの? 地元の船乗り?」
「おれだ」
 名乗り出たのはシバだった。

+++

「なんだ、お前達は船舶免許を持っていないのか? なみのりを使えないポケモントレーナーは船を使って海に出るものだろう」
 スポーツサングラスをかけた眉間に皺をよせ、小型クルーザーを操船しながら、シバはデッキに居るワタル以外の同僚に尋ねた。
「そうですけど、離れ小島を探索したことはなくって。免許がなくても困りませんでした」
 イツキが呆れたように首を振る。
 冒険やトレーニングのためにわざわざ免許を取得するトレーナーはそういない。
「ふむ……訓練にはちょうどいいぞ。暇を見て取得するといい」
 穏やかなアサギの海を小型クルーザーが切り開くように進んでいく。レストランや灯台に比べ、船上は喧騒とも無縁だ。カリンは潮風を含ませるように髪をかき上げた。
「身内で船を出せるのは騒がしくなくていいわね」
 ワタルが得意げに微笑む。
「そうだろう? だから、クルーザーを貸し切ってみたんだ。休日だから船が多いけど、うずまき島まで遠出するのは少数みたいだね」
 アサギの港の周りには多くのクルーザーが点在していたが、街が遠くなるにつれその数も減った。みずポケモンの群れが五人の乗るクルーザーと並んで泳ぎ、遊覧に花を添える。
 ところが後ろから大きな音がして、一隻のモーターボートが群れを割って颯爽とクルーザーを追い抜いていった。相当なスピードを出しているのだろう、海上の切れ目から大きな波が生まれ、クルーザーを軽く揺らした。乱暴なボートにむっとしたイツキがシバに言う。
「シバさん、あのボート抜いてくださいよ」
「無理だ。搭載しているエンジンが違う」
 シバはさらりと否定しつつも船の速度を上げた。
 クルーザーは風を切って海を駆け、浅瀬を泳ぐメノクラゲを次々追い越してすっかり小さくなったボートを追う。ワタルは双眼鏡で向こうの様子を窺った。乗組員は三人。
「レジャーではなさそうだな……漁師かな? あんなに急いで獲るものって何でしょう」
 海に面したセキチク生まれのキョウに尋ねた。
「ふむ。例えば……」
 彼は甲板の窓から操舵室に腕を伸ばし、シバの傍に置いてあるラジオのチューナーを操作している。やがて水平線の上にうずまき島の輪郭が見えた時――ボートの先で桃色の影が跳ね、ラジオが叫んだ。
『ただ今、うずまき島付近でサニーゴが大量発生中! お探しの方は急いで! ただし、乱獲は禁止です。節度を守って楽しいトレーナーライフを!』
 もしや――ワタルの予想を肯定するように、ボートの人間が繰り出したアズマオウがサニーゴを空中へと放り投げ、そこへボールを投げて次々と捕獲していく。手際よく作業をしつつ、ボートは島の裏側へと回り込んで消えていく。その姿を眺めながら、カリンがサングラスを持ち上げて仲間に尋ねた。
「こういう時、許容できるのは何匹? あたくしは六匹ね。彼らがサニーゴだけで殿堂入りしたいだけかもしれないし」
 対してイツキは控え目に申告する。
「ボクは二匹までですね。けど、サニーゴの珊瑚を加工したアクセサリーって高価ですし、外来ポケモンの餌にもなるんでしょう。あれはもう、グレー寄りの真っ黒と言うか……」
「止めよう」
 船の先端へ歩んだワタルがその場にボールを投げた。現れたカイリューにロープを何重にも巻きつけ、留め具を使って船と繋ぎ、後ろを振り返る。
「シバ、念のため船のエンジンを切ってくれ。他の皆は振り落されないように気を付けて。ハーネスで身体を固定するといい」
 ただちに船が止まり、周囲が静まりかえる。
「あのう、それってまさか……」 
 青ざめるイツキにワタルは清々しい笑顔を向けながらカイリューを撫でた。
「十六時間で地球を一周できるエンジンさ」
 ドラゴンが羽ばたいたかと思うと、後ろへ引っ張られる衝撃が船上に走り、突風が巻き起こると共に猛烈な勢いでくずまき島が近付いてくる。
「相変わらず無茶するわね……」
 甲板にしがみつきながらカリンは呆れる。そのうちに視界に飛び込んできたのはうずまき島周辺の岩場だ。ワタルはすかさず叫んだ。
「シバ!」
 指示を受けたシバが甲板向けてボールを投げる。現れたカイリキーがすかさずカイリューの背に飛び乗り──
「いわくだきだ!」
 二秒間に千発のパンチを繰り出せると言われる四本の腕で航路を邪魔する岩を粉々に破壊していく。その粉塵を顔に受けながら、イツキは聞こえるように声を張った。
「こんなことをして、海の神の怒りを買うんじゃないんですかー」
 それを気にしたシバがサングラスの縁を持ち上げながらワタルに尋ねる。
「どうやって船を停める? この勢いだと島を破壊するぞ」
 船は猛烈な勢いで島に接近している。五分もすれば到着するが、周囲は岩場で囲まれており、それを残らず破壊するのはここを住処にしていると伝えられているルギアに対して心証が悪い。ワタルは少し考え、イツキを振り返った。
「イツキくん、君のポケモンの念力を使って船をカイリューと同じ高さに持ち上げ、砂浜に着地できないか?」
 この男は爽やかな顔をして無茶ばかり言う。イツキは「できますけど……」と顔を歪めながらも、ベルトのポケットからボールを一つ取り外してその場に繰り出した。現れたのはカラフルな羽毛が印象的なネイティオ。イツキの相棒である。
「ネイティオ、テレキネシス!」
 彼が指示すると、ネイティオは翼を広げて船を包む念力を発する。ぐいぐいと船底が持ち上がり、水しぶきをあげて宙に浮いた。
「よし、カイリュー。着陸だ」
 カイリューはネイティオに合図しながら連携を取り、岩場を乗り越えてゆっくりと浜辺に着地した。さくり、と砂をかく音がしたのち、操舵室にいたシバがサングラスを双眼鏡に持ち替え、周囲の様子を伺う。岩場の隙間から見えた隣の小島に例のボートが浮かんでいた。
「向こう側の島にボートがある。無人だ。洞窟の中に入ったらしいな」
 うずまき島はいくつかの小島に分かれており、それぞれに洞窟が点在していた。早速探索を始めようとする男達を追わず、カリンはハンカチを手にデッキに座り込む。
「今度はあっちに飛んで密猟者を追うの? 勘弁して欲しいわ……悪いけど、休ませてくれない」
 どうやら彼女は船酔いしてしまったらしい。それを横目に、シバがワタルに尋ねる。
「この辺りの洞窟は地下で繋がっているらしい。そこの入り口から入れば合流できるかもしれん」
「よし、行こう。カリンは休んでて良いよ」
 うずまき島の周囲は生き物の気配も少なく、ほとんど岩場に寄せて返す波の音しか聞こえない。カリンは居心地が悪くなり、また彼らを呼び止めた。
「待って。シバとキョウさんのどちらかはここに居て。四人がかりで立ち向かう相手でもないでしょ」
 彼らは目を見合わせる。
「もし誰か来た時に……ポケモンを使って抵抗したくはないのよね。見た目で勝てる男が居れば有利じゃない?」
 昨日のバトルレストランでの威勢は忘れてしまったのだろうか──イツキは苦笑いしながらキョウを小突いた。
「ふふ、あくタイプ扱いされてますよ」
「船酔いしているからな、仕方ない。残ろう」
 ふう、と息を吐いて彼は一歩前に出る。

+++

「ボクもクルーザーに残ればよかったなあ……軽装で洞窟探検なんて無謀でした」
 うずまき島の洞窟にイツキの後悔が響き渡る。彼はサンダルを脱いでそこに溜まった砂をひっくり返した。これで何度目だろう。洞窟内はネイティオがフラッシュを焚いても薄暗く、湿気が強くて足場も悪い。
「でもお陰で視界が明るくて助かってるよ」
 ワタルにフォローされてもイツキは不満げだ。もう二十分近く徒歩とポケモンによる移動を繰り返しているが、似たような道が続くばかりでゴールが見えない。最初は野生のポケモンが飛び出してきたが、ワタルやシバの手持ちの覇気を前に息をひそめるようになった。さすがルギアのお膝元、無益な争いはしない主義らしい。それがまた退屈だ。
「灯りひとつなく、行く手を阻む岩も多い……訓練には最適な環境だな」
 感心するシバにイツキはすっかり呆れ返った。
「今度からここでトレーニングしたらどうです?」
 せっかくの小旅行が台無しだ──面白みのない洞窟探検を更に繰り返すこと三十分、あちこち探しても密猟者には遭遇できないまま、湿気がより強いエリアに来たところで視界の先にぼんやりと浮かぶ人影を見た。
 野生ポケモンも現れなくなったところに新鮮な発見だ。イツキの表情が明るくなった。
「誰かいる!」
「密猟者かな? 雰囲気が違うようだが……」
 ワタルを先頭に警戒しながら近づくと、そこに立っていたのは作務衣に長靴を履いた坊主だ。エンジュあたりで見かける僧侶といった風である。
 向こうはワタル達を認識しているようで、緊張ぎみに顔を強張らせながら恭しく頭を下げた。
「ようこそ、いらっしゃいました。ここから先はぎんいろのはねを持つ者しかお通しすることが許されておりません」
 一瞬にして不穏に変わった空気を察した坊主が慌てて付け加える。
「貴方がたがどのような身分の者であるか、私は知っています。けれども、それと規則は違います。私はこの聖域を守る使命があり……」
 この先にはルギアの住処とされる滝壺があり、その羽根を持つ者しか通行が許されていないらしい。坊主は早口になりながら、うずまき島とルギアの伝説を語った。内容はアサギの灯台にあったパネルと同じもので、イツキはあくびを噛み締めながらそれを復習した。一通りの説明が終わったところで、ワタルが真面目な面持ちで口を挟む。
「それは理解できますが、この先にポケモン密猟者が潜んでいる可能性があるのです。ポケモンの命がかかっている、お通しいただけますか。勿論ルギアには手出ししません」
 坊主と同じようにワタルもここまでやってきた経緯を説明した。けれども、相手は妙に頑なでルールを崩そうとしない。
「この先の滝壺へのルートはここ以外なく、私もそのような不届きものを見ていません。まずは他を探してください。話はそれからだ」
 震える声できっぱり跳ね除けられたので、ワタル達は仕方なく坊主から見えなくなる場所まで引き返した。
「仕事熱心な人だな。あまり下手には出たくないが、この洞窟内はおれ達以外の団体が来た形跡がない。どこかにあの奥へ繋がる水路があって、ポケモンに乗ってそこへ行ったとしか考えられないんだよな……やはり納得してもらう方法はこれしかないか」
 ワタルがベルトからカイリューの入ったボールを取り外し、シバもそれに頷いた。
「相変わらず無茶しますね。ここにいたら武力行使しか思いつかないから危ないや」
 呆れるイツキが携帯を取り出す。電波は何とか外に届くようだ。

+++

『──と言うわけで、門番がいて先に進めないんです』
 スピーカーに設定した携帯から、ノイズ混じりにイツキの落胆した声がする。酔い覚ましの水を口にしながら、カリンは呆れたように返した。
「四天王とチャンピオンが居て情けないわね。三人でそれぞれの相棒を連れてもう一度話してみれば? 確実に黙るわよ」
『もう、暴力をチラつかせる人ばっかり……あのお坊さんが通してくれない理由も分かる気がします』
「門番はどこかの僧侶なのか?」
 キョウが双眼鏡を手に水平線を眺めながら尋ねる。遠くから一隻のボートがこちらに向かっているのが見えた。
『そんな感じですね。あの作務衣は確か、エンジュあたりのお坊さんじゃないかな? 滝壺の管理を任されているんですかね」
 ボートに乗っている人間を確認し、彼は双眼鏡から顔を離す。
「そこを通る方法がある」

+++

 さくり。
 湿った砂を踏む音に胸が跳ねる。門番の坊主は緊張ぎみに息を呑んだ。数年前からここを任されているが、滝壺から這い寄る海の神の重圧と孤独と湿気に精神が削られ、いつまでも来訪者の音に慣れない。
 ましてや、また『あのトレーナー達』のようなとても自分の手にはおえない団体がやってきたら──恐る恐る振り向くと、見慣れた同僚の姿があった。
「交代だ」
 坊主はほっと胸を撫で下ろし、表情を緩めた。
「これでようやく地上に出られるよ」
 交代制の、手持ちを連れての修行も兼ねているとはいえ、ルギアのお膝元に一人で一週間も滞在しているのは心身共に消耗する。彼は同僚が差し出した水のボトルに口を付けながら、有名人に出会った体験を興奮ぎみに自慢した。
「そうだ……さっき、リーグチャンピオンと四天王が来たんだ。軽装だったが、あれは確かに彼らだった。君の好きなカリンは居なかったが、すれ違わなかったか?」
 同僚はカリンのファンなのだ。
「いや。それは残念だ」
 彼は眉を少し持ち上げる。もう少し、悔しがると思っていたのだが。同僚は涼しげな顔で滝壺へと続く道を見た。
「彼らはこの先に?」
「羽根を持っていないから帰ってもらったよ。いくらチャンピオンでも、掟だからな……食い下がるかとひやひやしたが」
 苦笑する自分に同僚が見下ろすような視線を向ける。
「ポケモンと固い絆を結んだトレーナーの前にルギアは現れる……それはチャンピオンでもないと?」
 いつになく鋭い目つきに背筋が寒くなった。あの人達を通さなかったから怒っているのか──けれども、掟なのだから仕方ない。半ばヤケになりながら言ってやった。
「羽根を持ったトレーナーはきっとそれ以上なのだろうな。ルギアを引き連れ、新たなチャンピオンになれるかもしれん。伝説のポケモンが居ればポケモンリーグを突破することなど訳ないだろう」
 すると彼はにやりと口元を緩ませた。
「それは楽しみだ」
 カリンが──あるいはリーグトレーナーがそれを阻んでやるかのようなような口ぶりだった。

 門番の坊主の姿が見えなくなったところで、後任の坊主が岩陰に隠れていたワタル達に振り返った。その拍子に作務衣姿の背丈が少し変化して男の顔がキョウに変わる。
「これで通れるぞ」
 タネの分からない変装を目の当たりにしたワタル達の顔が引きつった。
「忍者って凄いな……ありがとうございます」
 キョウは得意げに顎を上向けた。よく見ると、作務衣だけは本物を着用しているようだ。それをシバが指摘する。
「ところでその作務衣、どこで手に入れた?」
「交代の坊主に借りた」
 彼はあっけらかんと答え、
「拙者はここで見張りをするから輩を追うといい」
 ワタル達を滝壺へと誘導する。それ以上追求しない方がいい気がしたので、彼らはぞろぞろと先へ進むことにした。坊主姿に戻ったキョウをちらちらと振り向きながら、イツキが呟く。
「……カイリューを見せつけた方が紳士的でしたかね?」
「ちゃんと頼んで借りたのかもしれないし、まあ通れたから有難いよ」
 ワタルは深く考えないことにした。

+++

 滝壺に近づくにつれて湿気がひどくなり、流れ落ちる水の音に精神が飲み込まれそうになる。野生のポケモンの気配もなく、そこは明らかに異質な空間だった。
「こんな所に密猟者がいるんですかね? ボクなら島の外に隠れるけど」
 イツキが居心地悪そうに身震いした。滝の飛沫が雨のように降り注いでいることもあり、キョウと別れた場所から比べるとここはかなり気温が低い。足を滑らせないよう、そろそろと坂を下っていくと滝に混じって人の声が響きはじめる。
「……早く出ようぜ!」
 ワタルは後ろを歩く仲間に合図を送り、坂の横穴へと身を隠した。滝の全容が眺め渡せる絶景に三人は息を飲む。けれども景色を楽しんでいる時間はない。声のする方へ目を凝らすと、滝の前にある小さな岩場の上でゴムボートに乗っていた三人組の男が座り込んで大量のモンスターボールを数えている。
「もう十分サニーゴは捕まえただろ? 早いとこボートに戻ろうじゃないか。ここは滝の飛沫が強いし野生のポケモンが一匹も居ないから気味が悪い」
 ニット帽を被った男が滝を背に身震いする。衣服は飛沫を浴びてずぶ濡れだ。
「分かった分かった……全部で八十六匹か。百の大台に乗りたかったがクルーザーも来ていたし仕方ない」
 髭を蓄えた男が数え終えたボールをバッグに詰め込み、腰を上げた。キャップ帽の男もつられて立ち上がり、濡れたツバを持ち上げる。
「わざわざクルーザーでサニーゴ捕まえに来るなんて、随分セレブな連中だな。サンゴ狙いか?」
 そこに高らかと快活な声が滝とともに降り注いだ。
「いや、“観光客”です」
 男達が滝の上からカイリューに跨って現れたワタルを見た。確かに今の格好は軽装の観光客だが、印象的な赤毛と精悍な顔つきに首を垂れる神秘のドラゴン──この地方の人間なら誰でもこの男を知っている。彼らはすぐに狼狽えた。
「あなた方、少し獲りすぎじゃないかな。節度を守りましょうよ」
 ワタルはにこやかに男達を牽制する。様子を見ていた割に堂々出て行く後ろ姿にイツキは目を丸くする。
「も、もう出て行くんです?」
「実力は問題ないからな。たとえ三人がかりで攻めてこようと、大抵はカイリュー一匹で何とかなる」
 シバがやや呆れながらため息をついた。
 密猟者達がボールを構え、その場にブイゼルとゴローンを繰り出した。ブイゼルは海に飛び込んでボートを掴み、そこにバッグを抱えた髭の男が乗り込んでゴローンに命令する。
「撃ち落とせ! その間に逃げるぞ!」
 次々と放たれる岩石をかわしながら、ワタルは吼えた。
「カイリュー、ぼうふう!」
 ドラゴンが豪快に羽ばたくと、洞窟内に風が吹いて滝の飛沫を雨のように巻き込み、やがて暴風雨となって海面が激しく荒れる。ボートが大きく揺れて、男達は悲鳴を叫んだ。
「ブイゼル、さっさとアクアジェットで逃げろっ!」
 荒れる海面からなんとかボートを動かそうとするブイゼルを見て、ワタルが上で見ている友を呼んだ。
「シバ!」
 シバが腕を振りかぶってカイリューめがけてボールを投げる。カポエラーが現れ、身体を回転させながらカイリューの尾に着地した。
「バッグを頼むよ!」
 カイリューが尾を振り上げながら、コマを放つようにカポエラーをボートへ飛ばす。シバが叫んだ。
「カポエラー、こうそくスピン!」
 カポエラーは激しく回転しながら髭の男に体当たりし、バッグを足に引っ掛けて掠め取った。男達は慌てて腕を伸ばしたがカポエラーはすんでのところでボートから離れ、岩場にひらりと着地する。
 髭の男が引き返そうと腰を浮かせたが、目の前にカイリューが割って入る。
「バッグを諦めるなら大事にはしない」
 ワタルは強い口調で告げた。雨のように打ち付ける滝の水飛沫を受けても表情一つ変えず、こちらをまっすぐ見据える姿に密猟者達は怯み上がる。彼はブイゼルに命じ、来た道を引き返すことにした。
 ボートが見えなくなったところでワタルは洞窟内を見渡す。暴風が止んでも滝の流れは激しく、海面は大きく波打ちながら緊迫した空気が流れている。
「家主を怒らせたかな」
 ワタルはカイリューと顔を見合わせた。相棒は落ち着かないように何度もうなづいている。
「戻ろうか。サニーゴは外で解放します、うるさくして悪かったね」
 彼は滝に紛れる巨大な敵意に見せつけるように空高くバッグを掲げた。

+++

「ようやく戻ってきたと思ったら、次はボールの解放作業だなんて。バーベキューの時間が無くなるわよ」
 船上に転がるモンスターボールを手にカリンはため息をついた。スイッチを押してサニーゴを召喚し、ボールとポケモンの紐付け機能を解除して野生へと帰す。先程から五人でこの作業を繰り返しているのだ。ボールは八十個以上もある上に手作業なので五人で座り込んでやってもなかなか終わらない。カリンは密猟者に憤りを覚えた。
「あたくしなら逃すだけじゃ済まさないわね。警察に突き出して、そこでボールの解放作業をしてもらうわ。残りのサニーゴもそれでよくない?」
 作業を放棄したがる彼女にイツキは苦笑する。
「でも一応、住んでる場所に返さないと。君も自分の家に戻りたいよね」
 ボールから解放したサニーゴに尋ねると、ポケモンは同意するように鳴いて海へ飛び込んでむ。ワタルも同様の作業をしながら頷いた。
「そうそう、離れた場所で解放するとオレ達が密猟者だと勘違いされるよ」
「誰に?」
 首を傾げるカリンに彼は後ろのうずまき島に視線をやった。
「ここのオーナー」
 その言葉が意味する存在はひとつしか居ない。かつて、そのポケモンを怒らせた人間の島は海に沈められたという。
 船上に緊張が走り、場は一瞬無言になった。解放したサニーゴが海へ戻るのを見送って、キョウが尋ねる。
「見たのか?」
 ワタルはかぶりを振る。
「オレは見てないけど……向こうは見てるんじゃないかな」
 背筋に寒気を感じるのは、ずぶ濡れの服だけが原因ではないはずだ。

+++

 一時間もかけてボールを開き、デッキに残ったサニーゴはようやく残り一匹となった。
「ほら、お前で最後だ。捕獲されないよう鍛えるのも大事だ、次は上手く逃げるんだぞ」
 ボールから解放したシバがサニーゴを撫でて海へと見送る。ポケモンは無言で逃げ去っていった。一息ついて後ろを向くと、カリンがグリルを持ち出してバーベキューの用意を始めている。
「やっと終わったから次はバーベキューよ。もうお腹ペコペコ」
「なるほど。景色も良いし、ちょうどいいな」
 うずまき島がある他は水平線だ。風や波も穏やかで心地がいい。シバもテーブルの準備に参加する。
 要領よく支度を始める四天王をよそに、ワタルはやはり後ろの島を気にしながら戸惑った。
「ここでやるのかい? また海の神に睨まれるかも」
 けれども仲間達は気にしない。
「アサギに戻るまで待ってたら倒れちゃいそう。マナーよく食事していれば神様に怒られる筋合いはないでしょ」
 と、カリンは開き直っているが、バトルレストランの件を思い出すとやはり不安だ。納得できない様子のワタルに彼女はむっとする。
「あたくしが火を起こすからワタルは冷蔵庫の食材を持ってきて」
「はいはい」
 確かにワタルも空腹だったし、神ならバーベキュー程度に目くじらを立てることもないだろうとカリンの指示に従うことにした。クルーザー備え付けの小型冷蔵庫には肉と海鮮のバーベキューセットがそれぞれ人数分ラップされている。それを見てワタルはふいに思い立ち、紙皿に魚介を一掴みすると残りの皿を後からやってきたイツキに押し付けた。
「イツキくん、悪いけどこれをみんなのところへ持って行ってくれる?」
 彼はそのままデッキへ走り、カイリューに飛び乗って船を離れる。
「あっ、チャンピオンが準備サボってまーす!」
 背中越しにイツキが同僚に聞こえるように声を張る。
「ほう、珍しいな」と、長年の付き合いがあるシバは感心していたが、「働かざる者食うべからず」キョウは怪訝そうだ。「チャンピオンの海鮮セットは無しよ」戻ったらカリンの指示に従うしかない。
 ワタルはうずまき島で最もひらけた砂浜を探すと、近くの洞窟の前に魚介を供えて一礼した。
「お騒がせして申し訳ない」
 これで納得してもらえるとは思えないが、気持ちを表明することは大事だろう。
 顔を上げて踵を返す。
 ふと、波打ち際に光るものを見た。銀色の羽根が砂の上に刺さっている。先程は気付かなかった。これがあれば正式にルギアとの面会を許可されると聞いたばかりだが、ここでの発見は偶然だろうか──ワタルは羽根をつまんでカイリューに見せる。ドラゴンは少しだけ、嫉妬めいた表情をしていた。それに彼は頬を緩ませる。
「観光のお土産としては大袈裟すぎるかな。これは別のトレーナーに」
 皿の下に羽根を置いて、ワタルはクルーザーへと引き返す。晴天の下、海風に乗って香ばしく焼けた海鮮の香りが漂ってきた。

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