ネイティちゃんとポケスロン

 ネイティちゃんにとって『おまじない』とは、敵の攻撃を受けた時に特別痛くならないようにする術のことである。この技を使えば大怪我をすることも滅多にない。それ以外の『おまじない』などおまじないにあらず。なぜなら、何の効果もないから。特に人間が信じるおまじないは嘘ばかり。

「ハートのウロコってあるじゃない? とっても綺麗な、ラブカス型のウロコ。あれを手にしたカップルはね、死ぬまで一緒にいられるんだって! それがあれば、わたしもご主人様のそばにずうーっと居られるのかなあ?」
 今日もサーナイトが人間の嘘おまじないを得意げに披露している。
 エスパーポケモンのくせに、本当の『おまじない』以外を信用していることがネイティちゃんは不思議でならない。仲間のルージュラ曰く、サーナイトはキルリアだった頃にご主人に頭をポカリとやられ、覚えていた『おまじない』を忘れてから、こんなデマばかり信じているらしい。
「あんた、それ、人間の『おまじない』じゃない。ポケモンのくせにそんなもの信じてどうすんの?」
 ルージュラが毎回きっちり指摘しても、サーナイトはぷいっと顔を背けてそれをはねのける。
「元『野生』のあなた達には分からないでしょうね。わたしは育て屋の元で生まれてからずっとご主人様のそばにいるから、人間のおまじないを信じているの」
 サーナイトは我らがご主人、イツキのことが大好きだ。
 イツキはカシブの実みたいな頭をしている人間の雄で、エスパーポケモンだけを育成しながらポケモンリーグの頂点を目指す旅をしている。身体はひょろひょろだが、バトルの腕はなかなかだ。ネイティちゃんは彼と出会った時、一度だけイツキの未来を見たことがある。未来の彼は強く逞しく、でんきタイプのポケモンよりも輝いていた。その姿に憧れて捕まってやり、今は各地のポケモンジムを巡る日々。現状のイツキはネイティちゃんの献身により少しずつ体力がついてきているが、それでもまだまだ頼りない。だから、この人間に夢中になっているサーナイトの気持ちが分からない。夢中だから、あの嘘おまじないを信じられるのだろうか? それとこれとは違う気がするんだけど。
 でも、ネイティちゃんはチーム内では新入りなので、ルージュラみたいにあえて口に出すのはやめておいた。サーナイトはチーム一の古株にしてエースである。強さはポケモンの地位そのものだ。それはアルフの遺跡の草むらに住んでいた頃に学んだルールで、今はまだ気軽に反発する時ではない。

『ハートのウロコ、欲しいなあ』
 イツキがそう呟いたのは、サーナイトが嘘おまじないの話をしてから三日後だ。
 ジバコイルみたいな形の大きな建物の近くに来た時、掲示板に貼られたポスターを眺めながら彼はうんうん唸って考えごとをする。後ろを歩くサーナイトが色めきたった。
「聞いた? きっとご主人様も、わたしと一緒に居たいのね」
 いや、そこまで言ってないと思うけど。
 サーナイトと一緒にボールの外に出ていたネイティちゃんは何も言わずにイツキを仰ぐ。ネイティちゃんは小さく邪魔にならないので、彼はよく連れ歩いてくれていた。ポスターの文字は読めないが、そこにはモーモーミルクやハートのウロコ、進化の石などの写真が載っていた。ウロコより美味しいミルクが欲しいわ、とネイティちゃんはぼんやり考える。するとイツキがこちらを振り返った。
『あと三回参加すればハートのウロコがスロンポイントで交換できるんだ。やろうよ、ポケスロン』
 ポケスロン――なあに、それ。
 首を傾げるネイティちゃんを押しのけ、サーナイトが前に出る。
「やりまあす!」
 人間はポケモンの言葉が分からないけれど、この態度で彼女の意思は理解できるだろう。
『ビリでもポイントが貰えるのが良いよね』
 イツキはへらへらと笑いながら大きな建物の中へ歩いていく。ジバコイルに食べられるみたいで嫌だわ、とネイティちゃんは眉間に皺を寄せつつサーナイトに尋ねた。
「ポケスロンって、何?」
「そんなことも知らないの? ポケスロンはポケモン同士で行うスポーツのことよ。スポーツってのはね、バトルとは違う戦いなの」
 サーナイトは無知なネイティちゃんをじっくり見下しながら答えた。相変わらず腹の立つ雌だ。今に見てろ、と噛み締めながらも、戦いと聞けばネイティちゃんの血が騒ぐ。
「ふうん。それは負けられないわね」
「ことりじゃ無理よ」
 ばっさりと切り捨てられ、ネイティちゃんは思わずサーナイトをにらみつける。反抗するにはまだ早い。しかし、それでも。
 すると、サーナイトは素直に息を吐いた。
「わたしも無理」
 チームのエースポケモンが戦う前から諦めている。何故、と目を見張るネイティちゃんにサーナイトはやれやれと呆れながら話を続けた。
「だってスポーツは専門外だもの。負けても何か貰えるから参加するだけ」
 そんな姿が先ほどへらへらしていたイツキと重なる。彼らはポケスロンに何度か参加し、ずっと負け続けているのだろう。でも、ジムリーダーに敗戦していた時と比べて随分と開き直っている。ポケモンバトルに負けるとあんなに落ち込んでいたのに――その違いがネイティちゃんには理解できない。
「悔しくないの?」
 素直に尋ねると、サーナイトはほんの一瞬だけ、雨が降り始める曇り空みたいな顔をした。しかし、すぐにムッとしていつも通りの小馬鹿にしたような態度を取る。
「ポケモンバトルで勝てればそれでいいじゃない」
 彼女はひらりと身を翻し、イツキの背中を追いかけていく。風になびく百合に似た後姿を眺めながら、ネイティちゃんはぽつりと溢した。
「ありえない」

+++

『ポケスロンにようこそ! 今回はスタミナコース、輝く勝利は誰の手に……!? それでは選手紹介!』
 対面する人間の雄が声高らかにがなり立てる。
 ポケスロンの競技フィールドは見たことがないくらい広大で、それなのに空は天上で覆われているため窮屈だった。フィールドをぐるりと取り囲むスタンドは人間の観客でぎっしりと埋め尽くされ、大騒ぎしながらこちらに視線を注いでいる。ライバルチームのポケモンが紹介されるたびに場内が盛り上がり、カビゴンすら眠ることも出来ないうるささだ。しかしこの独特の雰囲気はネイティちゃんに高揚感をもたらした。注目されるのは悪くない。
 他のメンバーはどうだろう、と参加登録したサーナイトとルージュラを見る。イツキの手持ちには彼女たちの他にドータクンがいるが、今回は不参加だ。ルージュラは観客には目もくれず、ライバルチームの雄ポケモンを物色している。
「ポケスロンに参加するのも久しぶりだわ。ここは逞しいポケモンと出会えるから大好きなの! あのルカリオとかたまんない。でもゴーリキーもいいわね……ねえ、ネイティはどっちが好み?」
 ルージュラはごつくて筋肉質のポケモンが好きなので、かくとうタイプで揃えた隣の緑チームに夢中になっている。敵に欲情してる暇、あるの? ネイティちゃんは呆れつつも彼女の質問に答えてやった。
「あたし、派手な鳥が好みなの。あいつら飛べないし地味すぎ」
 次いでサーナイトを見る。
 彼女はチームの先頭に並ぶイツキにぴったりくっついて、その背中ばかり眺めている。始まる前からポケスロンの終了を待っているような横顔が癪だ。
『続いて……ビリの回数、計七回。この記録こそ私の証明――黄色はチーム・イツキのサーナイト、ルージュラ、ネイティ!』
 前にいた雄の人間がイツキのチームを紹介すると、ぱらぱらと小雨みたいな拍手が降ってきた。隣の緑チームの時は会場が沸き上がったのに随分な差だ。愕然とするネイティちゃんに対し、ルージュラがにやりと自嘲する。
「あたしらは毎回ビリだから期待されてないのよ。あんたもことりなんだから、無理せず楽しみなさいよ」
 どうやらこのチームで優勝するつもりなのはネイティちゃんただ一羽のようだ。チームを紹介していた雄の人間が『ポケスロン!』と叫び、会場が沸いてライバルチームが持ち場へと散っていく。サーナイトとルージュラもそれに続き、ネイティちゃんも渋々後を追おうとした時、イツキが立ち止って彼女を手招きした。
『そうだ。ネイティ、おいで』
 なあに? ネイティちゃんは首を傾げながら、ぴょんぴょんとイツキの元へ近寄った。彼はドリンクボトルを笑顔で差し出す。
『君は参加ポケモン達の中でもとりわけ小さいから、このドリンクを飲みなよ。これで少しはハンディを補える』
 どうせ負けるのに、こんなの必要なのかしら――ネイティちゃんは疑問に思いつつも、飲み口をくちばしで挟んできゅうっと吸い上げた。途端に鋭いえぐみが小さな身体をびりりと揺さぶる。
「まずっ。これ、ぼんぐりの汁じゃない。アルフの草むらじゃ、ボスに食べ物を奪われて餓死しそうなポケモンしか口にしないわ」
 トゥートゥー鳴いて抗議したが、言葉が分からないイツキはそれを都合よく受け取って得意気に微笑むばかり。
『ね、頭が冴えただろう?』
 そうね、あまりの不味さにね。ネイティちゃんのトサカがピンと跳ねる。感度はいつになく良好。すると、イツキは声音を抑えてこっそりと囁いた。
『君は小さいけれどもチームを引っ張る存在だからね。本番ではサーナイトとルージュラをよろしく頼むよ。応援してる』
 それ、サーナイトに言うことじゃないの?――ネイティちゃんは目をぱちくりさせて驚いたが、悪い気はしないので素直に頷いておくことにした。

 スタミナコースの一競技目はリングアウトファイトだ。
 せり上がった四角いリングの上に各チームから選ばれたポケモンが一匹ずつ立ち、スポットライトに照らされる。イツキチームの一番手はサーナイトだった。コーナーの控えに待機するイツキがネイティちゃんに身振り手振りでルールを説明する。
『ルールは簡単だよ。相手にタックルを仕掛けてリングの外に落とすだけ。疲れてきたらボクが交代を掛けるから』
 なるほど、それならば日々鍛え上げている鋼鉄のくちばしが輝ける。ネイティちゃんはまだあまりポケモンバトルに出られないので、夜な夜な念力の壁打ちや「つつく」の特訓をしているのだ。
 スタンドに設置されたスピーカーからシグナルが鳴り、試合開始を告げる。すかさず緑チームのゴーリキーがサーナイトを場外へ跳ね飛ばした。あんな奴、ポケモンバトルならサイコキネシス一撃で沈めているのに――ネイティちゃんは目を見張る。
「きゃっ、いたあーいっ! ご主人様、交代ですう!」
 サーナイトはイツキにうるうると懇願しながら控えの二匹を睨んだ。はなからやる気のない態度にルージュラが激怒する。
「ちょっと、あんた! 早過ぎでしょっ!」
「痛いのは嫌いなの。でもあなたはかくとうタイプにタッチできる機会が増えるからいいじゃない。求愛してもらえばー?」
 悪びれないサーナイトにルージュラが掴みかかる。その様子をまたか、と呆れるイツキに苛立ったネイティちゃんがリングの中に飛び込んだ。
「もうっ、あたしが行く!」
 輝くリングに上がった途端、赤チームのコイキングがこちらへ飛びかかる。ネイティちゃんはさっと横へ動いて攻撃をかわすと、身を翻しながらコイキングに体当たりした。魚が場外へ落下し、ポイントを獲得した音が鳴る。
「やったわ!」
 ネイティちゃんはコイキングを見下ろしながらぴょんぴょんと飛び跳ねた。ボンドリンクの効果なのか、身のこなしが普段よりずっとスムーズだ。しかし、たかさ二十センチあまりのネイティちゃんがたかさ九十センチのコイキングにアタックするのは負担が大きい。そしてライバルチームはコイキングより大きなポケモンばかりだ。
 すると、コーナーに待機していたイツキが指先でこめかみを突きながら笑顔を向ける。
『ナイスだ、ネイティ。だけど普通の体当たりだと疲れるよ。頭、使ってみて』
 その仕草でネイティちゃんはイツキの指示を理解した。前方から飛びかかるラッタの股を潜り、背中を取って頭突きを入れる。お辞儀程度の力だが、そこに念力を付加すれば「しねんのずつき」となり、ラッタはリング外へ吹っ飛ばされた。これなら体格差もカバーできるわね――調子づいたネイティちゃんは八の字を描くようにリング上を移動しながら、次々とライバルを蹴り落としていく。まとめて三匹リングアウトしたところで、緑チームのルカリオが立ちはだかった。
「ラムの実が転がってるのかと思ったらネイティか。ちょろちょろと目障りだ」
「あっそ。じゃあ下で見学すれば?」
 かくとう野郎なんて超能力で一撃よ――ネイティちゃんが勢いつけてジャンプした途端、ルカリオが視界から消えて彼女の下へ潜り込む。そのまま膝をばねにしてスカイアッパーを繰り出すと、ネイティちゃんは場外へボールのように飛んで行った。スタンドの人間が一斉に立ち上がり、ルカリオの活躍に興奮する。面白くない。ネイティちゃんは眉間に皺を寄せたまま、ルージュラの胸元へ着地した。
「あんまり調子に乗ると踏み潰されるぜ、ひよこちゃん」
 ルカリオはさらりと格好つけて試合に戻っていく。その背中をルージュラが睨みながら、忌々しげに奥歯を鳴らした。
「なんていけすかない野郎なの」
 先ほどまでメロメロ状態だったはずなのに、様変わりの速さにネイティちゃんは首を傾げた。
「タイプじゃなかったの?」
「あたしのチーム、つまり家族を馬鹿にする奴は許せないわ。ロクデナシに決まってる」
 あら、この子意外としっかりしているのね――ネイティちゃんはルージュラを仰いだ。憤る黒い肌は艶やかで頼もしい。彼女はネイティちゃんを脇に置くと、勇みながらリングへ駆け上がる。ところがそのであいがしらをルカリオに狙われ、彼女はすぐに蹴り落とされた。実力差に唖然とする彼女の顔をサーナイトがやれやれと覗き込む。
「やる気だけあってもねえ」
 その挑発に、ルージュラがさっと身を起こして食って掛かった。
「ああん? 戦う前から諦めてどうすんのさ」
「ほんとのことを言って何が悪いの。実力が追いついてないのに、やる気だけ出してどうするの?」
 サーナイトも一歩も引かず、ポケモン達はそのまま黄コーナーで威嚇を始める。そんな事をしている間に時間切れが来て、なすすべなく最下位が確定した。本番中なのに、一体何をしているのか――呆気にとられるネイティちゃんはそっとイツキの顔を見た。彼はうんざりしながら息を吐く。
『あーあ……今日も厳しいな。優勝すればこれも一度で終わるのに……』
 そしてネイティちゃんの視線に気付き、苦しげに口角を持ち上げた。
 ハートのウロコを貰うために、あと何回この顔を見ればいいのだろう。ネイティちゃんはふう、と深呼吸すると次の舞台に視線を移した。

 二競技目はチェンジリレー。三匹がトラックの内側に待機し、交代しながら走った距離を競う。小さなネイティちゃんでは距離が稼ぎにくく、なるべく他二匹に任せたいのだが仲違いは続いている。
「わたし、走るの苦手え」
 早くもやる気がないサーナイトにルージュラが掴みかかろうとしたので、ネイティちゃんはすかさず間に滑り込んだ。
「あたしもあまり走れないわ。ルージュラ、ここはあんたに一番長く走って貰いたいんだけど」
 一家の末っ子の頼みを受け、ルージュラはきりりと顔を引き締める。
「任せて! たっぷり走ってルカリオを追い抜いてやるわ。タックルされなきゃリードは取れる!」
 ネイティちゃんは不満げなサーナイトを振り返った。
「その後、サーナイトとあたしが代わりばんこで頑張って走るの。サイドチェンジで交代すればスムーズよ」
「なあんであんたが仕切るわけ……」
 サーナイトはイツキの相棒で、チームのエースなのだ。新入りの下っ端に指図されるのは気に食わない。だが、ぶつぶつと文句を言いつつもその態度にはっきりとした反発心はない。きっと彼女も本音はイツキのために勝ちたいのだろう。サーナイトはトレーナーのために尽くす種が多いのだ。
「まっ、すぐに代わりなさいよね」
 サーナイトはつれなく吐き捨てると、ネイティちゃんを抱えてトラック内側の待機場所へと移動する。これは彼女がイツキに向けて行う世話好きのアピールで、後輩への親切心はない。人間はポケモンのコミュニケーションがはっきり理解できないことをいいことに、サーナイトはぶつぶつと文句を溢す。
「ことりなんだから大人しくやりすごせばいいじゃない。怪我してポケモンバトルに影響したら、ネイティオに進化する日が遠のくわよ」
「ねえ、あと何回ビリになるつもり? 負けるのは一度だけにしてよね。ここで優勝すればウロコが貰えるんじゃないの」
 消極的なサーナイトをぎろりと睨むと、彼女はやや動揺しながらも苦々しく反発する。
「確かに優勝したらハートのウロコと交換できるだけのポイントが手に入るけど……緑チームに勝てるわけないわ。あいつら、いつも優勝しているメダリストポケモンなのよ。わたしはラルトスの頃から負かされているし……こつこつビリになってウロコを手に入れた方がまし」
 負けが込み過ぎているとはいえ、こんな情けないポケモンにはエースとして居座ってほしくない。チームで最も強いポケモンはバトル以外でも闘争心を前面に出し、リーダーとして周りを引っ張るべきなのだ。故郷のアルフの遺跡の草むらでは、それができるポケモンがボスとして君臨していた。不甲斐ないサーナイトに苛立ったネイティちゃんは思わず皮肉を口にした。
「それで貰ったウロコに、幸せになれるおまじないの力なんてあるのかしら」
 サーナイトの表情が歪む。
 整った顔立ちはかっと沸き立つ憤りと届かない目標への悔恨が混じり、ぼんやりした灰色になった。立ち尽くす彼女の後ろをルージュラが全力で駆け抜けていく。
「おらああっ! 家族一のスタミナと脚力、見せてやるわああっっ!」
 彼女はトラックの砂を巻き上げ、目先の障害物やライバルを超能力で見極めながら確実に避けて先頭に躍り出た。その姿に控えで見守るイツキも『これだ、これ!』と思わず拳を握りしめた。ほらね、ビリでいいなんて嘘でしょ――ネイティちゃんがサーナイトに目配せする。しゅんとする彼女の背後にルージュラを追うルカリオが映りこんだ。
「邪魔だっ、ひとがた!」
 一秒遅れのルカリオがルージュラにアタックを仕掛けようとする。激走の疲れが滲み出る彼女に、イツキが指示を叫んだ。
『ルージュラ、交代――』
 合図が終わる前にネイティちゃんがコース内側でルージュラと並走しながら念力を使った。その瞬間、ふたりの位置がぱっと入れ替わり、ネイティちゃんがコースに入る。サイドチェンジだ。ルージュラの背中が突然消え、それに唖然としたルカリオは前方のメタグロス像に衝突する。
「ルージュラに追いつけなくて残念ね! 一位はいただきよっ」
 ネイティちゃんはルカリオに尻尾を振って先を急ぐ。たかさ二十センチのことり故にぴょんぴょん跳ねながらでしか進めないが、ボンドリンクのアシストを受けてか、今日は地面を蹴るだけで身体がずっと先へ飛んでいく。ネイティオに進化し、飛行しているようで心地がいい。だが、徐々に疲れが溜まり、コントロールラインが見える頃にはくたくただ。後ろに迫るルカリオを気にしつつ、ネイティちゃんはサーナイトを一瞥する。
『次、サーナイト!』
 イツキがサーナイトの背中を押し、彼女は慌ててサイドチェンジを念じる。ライン上で二匹が入れ替わり、彼女はドレス状の身体を引きずるように走り出した。ネイティちゃんは地面に転がりながらもサーナイトを激励する。
「頑張って! 半周したら交代するから」
「その後はあたしに任せな!」
 ルージュラにも鼓舞され、イツキからも『頑張れ!』と声援を送られたからには無碍にはできない。
「う、うん……」
 サーナイトは華奢な身体を左右に揺らしながら、地面を蹴って前を目指す。すぐ後ろにルカリオと代わったゴーリキーの気配がして、背中がひやりと冷たくなった。体当たりを仕掛けられる――覚悟を決めた瞬間、外野からネイティちゃんの声がする。
「お願い!」
 サーナイトは身体の中に溶けていく念力を感じた。直後にゴーリキーのタックルを食らってよろめいたが、急所は外れ、彼女は何とか持ち堪えた。踏みしめた軸足をばねにしながら、「どいて」とゴーリキーを押し戻す。掌に念力をたっぷり込めたので、軽く撫でただけで相手は悶絶しながら膝をついた。その間にサーナイトは足を速めてリードを広げる。精一杯距離を稼いだところで、ネイティちゃんがトラックの内側からサーナイトの横に付いた。
「そろそろね」
 息の上がったサーナイトが縋るようにネイティちゃんを見る。ふたりはサイドチェンジで瞬時に入れ替わった。よろめくサーナイトにネイティちゃんが尋ねる。
「あたしの『おまじない』、効いた?」
 サーナイトは少しの間憎たらしい返事を探っていたようだが、すぐに観念したらしく息を整えながら「うん」と小さく頷いた。その後はネイティちゃんが半周走り、残りはルージュラが独走だ。緑チームより三周多く走り、順位は一位。番狂わせに場内は騒然となった。

『やった! 初めて一位を取れた! みんな、ありがとう!』
 結果を最も喜んだのはイツキだろう。ピカチュウみたいに頬を赤くして笑顔を噛み締める姿に、ネイティちゃんは嬉しくなった。彼も負けてばかりは嫌なのだ。そんなことはトレーナー修行の旅に付き合っていれば分かることなのに。やっぱりね、とほくそ笑みたくなってサーナイトを盗み見たら視線が合ってぎょっとした。こちらをずっと見つめていたらしい。
「……本当はわたしも優勝したいの」
 サーナイトは両目を潤ませながらネイティちゃんを抱え上げ、その胸中を語り始めた。
「わたしのパパはね、とても素敵なメダリストポケモンのエルレイドなの。きょうだいは皆、パパを目標に育てられ、わたしもいつかポケスロンに出てパパと同じメダルを持つのがラルトスからの夢だった。ご主人様に貰われてからはバトル中心の生活で、それも満足だったけど……ぴかぴかのメダルが忘れられなくて。だけど、たまに出られるポケスロンでは負けてばかりで、わたしはパパの子なのに落ちこぼれだと思ってた。それをずっと気にしていて……でも、今日はっきり分かったの」
 彼女は覚悟を決めた眼差しをネイティちゃんに向け、きっぱりと告げた。
「わたしも優勝してメダルが欲しい!」
 するとネイティちゃんはサーナイトの両手からぱっと羽ばたくと、その額を渾身のドリルくちばしで小突いた。サーナイトが大きくのけぞる。
「だったら最初からやる気を出しなさいよっ」
 ネイティちゃんはくろいきりよろしくサーナイトの発言を打ち消すと、彼女の頭を足で掴んだまま鬱憤を晴らすように反撃する。もう我慢の限界だ。
「これだから育て屋の生まれはっ。いつまで親離れできないの? 野生育ちのあたしはもう親の顔なんて忘れちゃったわよ。パパとかきょうだいとか、そんなのはどうでもいい。あんたは“一応”、うちのチームで一番強いポケモン、サーナイトでしょ! “暫定”、イツキの相棒! 今はそれが大事なんじゃないの。いつまでも親を引きずってめそめそしてたらその座を蹴っ飛ばしてやるから! そしてハートのウロコに縋りながら返り咲ける日を待つことね」
 下っ端の立場を気にせずまくしたてるネイティちゃんに、サーナイトはただ呆然としていた。言いたい放題罵られ、報われない悲劇のヒロイン像が粉々に砕かれたところで、サーナイトは頭に乗っていたネイティちゃんの足を掴んで引き剥がした。
「はん、調子に乗るのもいい加減にしな。あんたはわたしのことを『嘘おまじないを信じる馬鹿なポケモン』とか『腹の立つ雌』なんて思っているようだけど、テレパシーで全てお見通しよ。ご主人様の隣は絶対に渡さないんだから!」
 サーナイトはネイティちゃんを鋭く睨みつけると、ことりの身体を振り回しながら自らの額にごつんとぶつける。
「その生意気な野生の気質、わたしにもちょっと寄越しなさいよ」
 傍から見ると仲違いだが、近くに居たイツキやルージュラはそれを止めなかった。ネイティちゃんも反撃に出ることはない。これは彼女なりの願掛け、すなわち「じこあんじ」である。サーナイトはネイティちゃんがボンドリンクで高めていたポテンシャルを引き継ぐと、冷静に言い放つ。
「最後はブレイクブロック。最も多くのブロックを壊したチームの勝ちよ。夜通し岩をつついてるあなたには簡単でしょ?」
「あったりまえよ」
 ネイティちゃんは迷わず頷くと、一番手としてリングへ向かう。
 しがらみがなくなると身体は更に軽くなった。傍で見守るイツキがにやりと微笑む。
『その面構え、最高だね。今なら何でもできそうだ』
 後押しするような一言が身体の中に心地よく浸透していく。十枚重なったブロックの上にちょこんと乗って試合開始を待っていると、隣で待機するルカリオが横やりを入れた。
「よお、ヒヨコ」
「ことり、よ」
 つれないネイティちゃんにルカリオが食って掛かる。
「さっきは油断して抜かされたが、今度は負けねえぜ。うちのチームはブレイクブロックのベスト記録持ちなんだ」
「ふうん、しょぼい記録を抜かされないようにひやひやしながら守ってきたのね」
「何だと!」
 ちょうはつ、成功だ。この技を使えるネイティはそういるものではない。技と煽りの線引きは曖昧なので、ネイティちゃんはまぐれだろうと特に気に掛けずにブロックに向かい合う。すぐにスタートシグナルが鳴った。
『行け、ネイティ!』
 イツキの掛け声と共にネイティちゃんは軽く飛び上がると、練習で磨き上げたくちばしをドリル状に回転させながらブロックを貫く。一枚目はウエハースのようにすぐ割れた。びっくりするほど脆い。これならいくらでも割ってやる――ネイティちゃんは身体を回転させながら残り全てのブロックを粉砕した。
「早い!」
 ルカリオが混乱しながらこちらを見る。その間にネイティちゃんの下に次のブロックが用意された。これもあっという間に粉々にする。ネイティちゃんはことりだが、くちばしは鋼のように鍛え上げている。それはいつでもポケモンバトルに出られるように備えておくためだ。ルカリオのようにまとめて一刀両断はできないが、それでも速度には引けを取らない。順調に六十枚粉砕したところで、疲れる前にイツキがサーナイトとの入れ替えを指示した。手持ち同士のいがみ合いが減ったことを察したイツキは、あまり引っ張らない戦法を取ることにしたらしい。
『サーナイト、いけるところまで頼む』
「任せてください、たっくさん割ってやりますからあ!」
 次を引き受けたサーナイトが手刀を繰り出した。ボンドリンクの恩恵か、揮う腕は軽く、しかし確実にブロックを割ることが出来る。手ごたえを感じたサーナイトは感激し、徐々にギアを上げながら四十枚粉砕した。
『オッケー、次! ルージュラ!』
 サーナイトがサイドチェンジを唱えて即座にルージュラと入れ替わる。そのまま控えに戻る彼女に、ネイティちゃんはまあまあね、と言いたげな表情で労いを掛けた。
「おめでとう」
「自己ベストよ。信じられない」
 サーナイトは高揚感に満たされながら早口で呟いた。
「ルージュラだってもう三十枚も割ってる。わたし達、今トップよ」
「じゃ、前だけ向いていればいいのね」
 残り時間はあと僅か。トップを走り抜ける緊張感が一気に高まる。ルージュラが四十五枚割ったところで、イツキがネイティちゃんを腕に乗せながら交代の合図を出した。
『最後はネイティ。残り時間、目一杯頼むよ!』
「任せて!」
 するとイツキはネイティちゃんのトサカを引っ張るように軽く撫でた。そこを触られると気分が高まって神経が研ぎ澄まされ、全身がふわりと浮き上がる。びっくりしてイツキを見ると、彼は頬を緩ませた。
『君が勝てるように、おまじない』
 そんなのなくたって――嘘の反抗を飲み込む。
 ありがとう。あたしはどうしても勝ちたいの。
 ネイティちゃんはルージュラの後ろに回り込むと、サイドチェンジでブロックの上に躍り出た。そのまま身体を回転させ、ドリルくちばしでまとめて粉砕。交代している間に体力は回復し、パフォーマンスは低下していない。スコアはトップに立っていると分かれば、後はひたすらブロックを割りながら駆け抜けるのみだ。一位は前が見えていないだけ気楽である。その上、今はやけに気持ちが軽い。
「今ならどんどん割れる!」
 出番の少ないポケモンバトルでの活躍を夢見て、夜通し特訓していた甲斐はあった。この努力を活かす日は来るのかと懐疑的になる日もあったが、無駄ではなかったと安心する。ネイティちゃんはブロックをつついてつついてつつきまくった。黄色チームのカウンターが目にも留まらぬ速さで数字を増やしていく。ダークホースの活躍に会場が浮足立ち、ライバル達も焦燥を露わにする。最も焦ったのは優勝候補の緑チームだろう。十枚差で追いかけるルカリオはとうとう我を忘れて大きく腕を振りかぶった。
「ひよこのくせに!」
 自らの頬を打ちながら勢いよくブロックの端に拳を叩きつけた。ブロックが五枚吹き飛び、鋭い破片がこちらへ飛散する。
『ネイティ!』
 イツキの叫びと同時に、こちらへ襲い掛かるブロックの量と位置がはっきりと見えた。視線は足元を向いているはずなのに――それは数秒先の未来だった。イツキの手持ちになってから見ないと決めた先の時間が鮮明に頭をよぎる。
 どうして、と動揺している暇はない。襲い掛かる瓦礫の位置が分かれば、確実に回避可能だ。ネイティちゃんは即座に身をかかめながら飛んでくる欠片をやりすごし、足元のブロックを割った。直後、ゲームの終了を告げるシグナルが鳴り響いた。

 結果は合計百八十五枚――二位に三十枚差を付け、文句なしの一位だ。そしてこの数字は新記録らしい。会場がようやく黄色チームへの賛美で満たされ、ステージに転がるネイティちゃんに歓声を送る。拍手喝采の音は雨に似ているが、降ってくるのは自分への称賛ばかり。
「こんな雨ならずっと浴びていたいわね。あまごいで降らせられないかしら……」
 ネイティオに進化したら、念力で可能になるのかもしれない。そんな事を考えていると、視界が暗くなってルカリオが顔を覗き込む。
「おい、ことり」
 かれはぶっきらぼうに告げると、ネイティちゃんの目の前に拳を掲げた。
「良い戦いだったぜ」
 ルカリオは拳を突き合わせ、お互いに健闘を称えようとしているらしい。ネイティちゃんは飛び起きる反動で、その顔に渾身の頭突きを叩き込んだ。ルカリオはそのままよろめき、リング外へ転落する。
「こっちにブロックのかけらを飛ばしておいて、何言ってるの。格好付いてないわよ」
 ぷいっと踵を返すと、今度はルージュラが駆けてきてネイティちゃんを嬉しそうに抱え上げた。彼女は愛おしそうにほおずりするが、こおりタイプの肌は冷たく、ネイティちゃんの体力がじりじりと削られる。
「やるじゃない! あたしら、たぶんこのまま優勝よ」
 後からサーナイトがやってきて、「ありがと」とネイティちゃんにだけ伝わるようテレパシーで礼を言った。
 口に出せばいいのに、なんと回りくどい雌なのだろう。そういうところは好きじゃないわ――ネイティちゃんもテレパシーを用いて、きっちりそう返しておく。
 何も知らないルージュラがネイティちゃんを揺さぶりながら勇姿を褒めた。
「妨害を上手く避けたところは流石ことりだわ。あたしなら刺さってた」
 まあね、とネイティちゃんは胸を張ろうとしたが、ボンドリンクを飲んでいたとはいえ未来まで透視したのは想定外だ。その力は封印していたはずなのに――不思議がる彼女に、サーナイトが鼻を高くする。 
「あれはご主人のおまじないが効いたのよ。人間のおまじないってすごいんだから」
 確かに最後の交代間際、イツキにトサカを撫でられた後に念が高まり、未来予知ができた。ネイティちゃんは元々未来を覗ける力を持っているが、しばらく封印している。それを簡単に引き出すなんて――あれは人間が使う技だったのだろうか。ネイティちゃんはルージュラと顔を見合わせる。
 そこへ割り込むようにイツキがやってきて、三匹をまとめてぎゅっと抱きしめた。ネイティちゃんはサーナイトの顔が一瞬だけ不満げに歪んだのを見逃さなかった。
『やったよ皆! ポイントトップで、ボクらは一位間違いなしだ!』
 この無邪気な笑顔を見るだけで報われた気がする。やはり勝利はどんな餌よりも美味しく、どんな幸福より嬉しいものだ。だけどネイティちゃんは引っ掛かる。
 ご主人、あなたはどんな「おまじない」を使ったの?

+++
 
 景品交換所で貰ったハートのウロコは虹を薄く切り取ったような輝きがあり、ラブカスが眩しいのも納得の美しさだった。
『やっと手に入れたよ、ハートのウロコ。優勝してくれて皆、ありがとう』
 ウロコを手持ちに見せつけるイツキに、サーナイトがうっとりと微笑む。
「うふふ、これでずーっと一緒ですね、ご主人」
 彼女は首から下げたメダルを誇らしげに揺らしながら、イツキにすり寄った。トレーナーとその相棒のツーショットを見ると、日常に戻ったことを自覚してネイティちゃんは少し冷めた。ポケスロンはことりにも活躍の場が与えられたが、チャンピオンを目指す旅ではまだまだ脇役だ。
 イツキは傾きかけた太陽にウロコを透かしながら、出番がなかったドータクンに笑いかける。
『じゃっ、今からフスベシティに行こうか! 職人さんにこれを渡して、ドータクンの技を思い出させないとね』
 え、どういうこと?――他三匹が目をぱちくりさせる。
『この世には忘れた技をまた覚えさせる職人さんがいるんだけど、お願いするにはこのウロコが必要なんだ。よかったな、ドータクン。皆のお陰でリフレクターがまた使えるようになるよ』
 ポケモンはトレーナーに頭をポカリとやられると、それまで覚えていた技を忘れてしまう。それにはポケモンの中でも英知を誇るエスパータイプでも抗えない。「ポカリ」はネイティちゃん達の脅威であるが、忘れた技を思い出せると知って安心した。
「アリガトネ」
 ドータクンがそっけなく礼を言う。
 ハートのウロコを貰ってもメリットがないルージュラはすぐに受け入れ、感謝しなさいよねえとドータクンを小突いた。
「あのウロコってオカネと似ているのね。どう使い分けるのかしら?」
 言われてみれば確かにそうだ。ネイティちゃんも頭をひねる。
「薬やご飯を貰う時はオカネ、技を思い出したいときにはウロコを払うんじゃない。人間の世界は面倒ね」
 のんびりと会話する二匹に対し、ウロコに憧れていたサーナイトはむっとしながらドータクンを睨みつけている。しかし、ウロコの所有権はイツキにあるので、表向きは反発することはない。
「ウロコのおまじないに頼らなくても、わたしはずうっとご主人のそばに居るはずですもの。今回はドータクンに譲ってあげるわ」
 彼女は捨て台詞を吐くと、ぷいっと顔を背けてチームの輪から少し離れた。
「ほらね、人間のおまじないを信じても仕方ないのよ」
 ルージュラがやれやれ、と息を吐き、同意を求めるようにネイティちゃんに視線を動かす。ポケスロン前なら何の疑問も持たずに頷いただろうが、今はそれが出来なかった。ネイティちゃんは未来で輝くイツキの片鱗を見たのだ。彼が使ったあの「おまじない」は本物なのかもしれない。でもここで否定しても信じてくれないはずなので、誰にも聞こえない声でぽつりと呟いた。
「……そうかしらね」
 するとサーナイトが少しだけ顔を動かして、ちらりとこちらを覗き見る。その誇らしげな表情が憎らしかったので、ネイティちゃんはテレパシーを読み取れない距離までとんとん、と走ることにした。ボンドリンクの効果が切れた身体はぐんと重たい。今晩もトレーニングをしてから寝ようと決めた。

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