あげ鳥

 ポケモンは人間に捕らえられ、使役されることをネイティ達は知っていた。
 眠る間もなく戦わされたり、売り飛ばされたり、羽を毟り取られて食べられたり――世にも恐ろしい扱いを受けるのはごくごく僅か。大方は可愛がってくれる。それは彼らが住むアルフの遺跡にやって来る、ポケモンを連れ歩くトレーナーを見ていれば分かる。いつも草むらから見えるのは振り返ってはパートナーを抱きしめる優しいトレーナーの姿。

 ふうん、人間というのはそう悪くない存在なのね。
 
 この草むらで生まれ育ったネイティちゃんは人に好感を抱くようになった。ここの草むらに立ち入って、仲間を捕獲しに来るトレーナーにも悪人はいない。たまに乱獲目的もいるけど、そういう輩は野生ポケモンが結託して追い返す。
 そうして毎日のようにトレーナーを観察するうち、ポケモンの能力を伸ばすことに長けた人間がいることに気が付いた。ポケモンをただ可愛がりたい者とは違って、そういうトレーナーは背筋がピンと伸びて自信に溢れ、凛々しく進化したポケモンを連れ歩いている。
 きっと、彼らのポケモンは強い。強さはポケモンの地位そのものだ。
 アルフの遺跡の草むらでも様々な種族がいる中で、最も力のあるポケモンがボスとして君臨している。その序列は捕獲されては入れ替わり、今のボスはマッスグマだ。メスをとっかえひっかえし、他の羨望を浴びながら生きている姿がぎらぎらと眩しい。
 だがこの草むらでボスとして居座り続けているポケモンは少ない。トップまで上り詰めた知恵と戦闘能力を活かし、強そうなトレーナーの前に飛び出しては捕獲を煽って更に上を目指そうとする。それを肯定するように、外から来たポケモンが言う。

 ポケモントレーナーもおれ達みたいな階級社会なのさ。強いトレーナーに捕獲されたら、遥かな高みへ連れて行ってくれる。おれはそれを信じてご主人についていくんだぜ。お嬢ちゃんも来るかい?
 
 と、草むらを訪れたトレーナーが連れていたオニドリルにナンパされた。発情を隠さない態度は間違いなくナンパだ。彼が連れ添っているトレーナーは、やはり背筋がまっすぐ伸びた意志が強そうな青年である。
 十分、アリ。
 だけど、もっと上がやって来たらどうしよう?
 そんな時、ネイティちゃんは左目をぐっと閉じて、右目だけでトレーナーを凝視する。そうすると対象の人間が先の時間の中で動いている姿がおぼろげながらも瞼の裏に浮かんでくるのだ。
 目まぐるしく変化する未来は十秒足らずで終わる。そこに戦っている姿はなく、トレーナーはトサカが色褪せたオニドリルといつまでも仲良く、お家で暮らしましたとさ。おしまい。

 優しいご主人さまのようだけど、ついていくのはやめておくわ。
 
 ネイティちゃんはつんと顔を逸らし、オニドリルを振る。トレーナーは草むらのナンバースリーであるドーブルを捕獲して去っていった。
 この草むらには様々な種類のポケモンがいるけれど、先が見通せるのはネイティ達だけ。それもネイティちゃんほどはっきりと未来が見える子はいない。このことはボスには内緒だし、仲間にも言わないようにしている。喋ってしまったらきっと皆が自分を頼るに決まっている。この力は自分が最高のご主人を見つけるために使うのだ。他の奴になんか教えない。能あることりは爪を隠す。

+++
 
 ある時、一人の人間が草むらの近くにやってきた。
 ポケモン達がざわつき、草木が揺れる。今日の訪問者はルージュラを連れた少年だった。
「はー、やっと草むらを見つけた……」
 マダツボミみたいなひょろひょろの身体に、ゴニョニョみたいな髪の色。
 ちょっと前かがみになって、落ち着かない様子で周囲の様子を窺っている。その弱そうな雰囲気を見て、ボスであるマッスグマは茂みの奥へ引っ込んだ。それに続き、ドーブルやビッパが川に飛び込む。草むらのポケモン達はあっという間に雲隠れ。それを察したルージュラが、がっかりした様子でトレーナーを仰ぐ。
「ジムを突破できる強いポケモン、いないかな」
 彼は野生ポケモンに見放されたことにまだ気が付いていないようだった。

 だめだめ、ブイゼルみたいに身体を丸めて、自信なさそうにポケモンを探すのは。ついていきたいと思わない。

 ネイティちゃんは呆れながら、枝に留まって身を隠す。その時、木の葉がかさりと動いたので下の草むらでポケモンを探していた少年と目が合った。何たる不覚。だが彼はすぐに落胆を浮かべる。
「うーん、ネイティは技がねえ……即戦力にはならないからなあ」
 ぷいっと顔を逸らし、草むらを再捜索する姿はこれ以上ない屈辱だ。

 何よ、ススキみたいにひょろひょろでふわふわのくせに!

 怒りに駆られたネイティちゃんは飛び上がって地面に着地、少年の行く手を阻んでそちらを睨む。だが彼は野生のポケモンが自ら進んで捕獲されに来たのだと勘違いしたらしい。
「まあいいや、とりあえずキープしようか。ルージュラ、あくまのキッス」
 ルージュラが鬼気迫る黒い顔でこちらに迫り、眠気を誘う口づけをする。ところがネイティちゃんはすぐに睡魔を撃退し、ナイトヘッドでお返しした。彼女は草むらでも指折りの「はやおき」なのだ。その気骨溢れる姿に少年は目を見張り、次のボールを右手に掲げる。
「動きがいい。使えるかもしれない、ドーミラー!」
 アンノーンみたいに平べったいポケモンがネイティちゃんと対峙する。少年は草むらの階級なら一番下でもおかしくない程なまっちろいのに、バトルに挑む眼差しはぎらぎらと野性味あふれている。

 なかなか良さそうなご主人ね?
 
 と、ドーミラーに目配せしても、ポケモンはだんまりを決め込んで浮遊しているだけ。その上、念力を放ってこちらに嫌がらせする。あたしが聞いてるのに何なのよ、がらくた、ぼんくら、とうへんぼく! 怒ったネイティちゃんは左目をぎゅっと瞑って右目で未来を見る。
「何の動作だろう。ミラクルアイ?」
 間抜けな声が頭の中で引きのばされて、未来に繋がって快活な調子に変わる。場所は明るく広い、アルフの遺跡みたいな部屋の中。そこにはいつまでも平和で幸せな空気はなく、闘争心に満ちて居心地が良さそうだ。彼は自信たっぷり、高らかと声を響かせた。
「ようこそポケモンリーグへ! ボクの名前はイツキ! 世界中を旅してまわり、エスパーポケモンの修行に明け暮れた。そしてようやく――」
 そこで未来が途切れる。
 その直後に二発目の念力を食らったネイティちゃんは確信した。このトレーナーは本物だ。

+++

「ボクの名前はイツキ。今、セキエイリーグを目指す旅をしているんだ。次の目標は三個目のジムバッジ獲得だよ。一緒に頑張ろうね」
 そう言って微笑む少年の手持ちは四匹。ルージュラ、ドーミラー、キルリア、そして新入りのネイティちゃんである。性別不明のドーミラー以外はいずれもメスで、狙ったわけでもなく女所帯になってしまったらしい。
 イツキはキルリアみたいにひょろひょろな身体で、オスとして大丈夫なのかと不安になることもあるが、自分の見立ては正しかった。彼はネイティちゃんを捕獲した直後に三個目のジムバッジを獲得し、その翌週に難なく四個目も得た。バッジの数はトレーナーのランクを決定づける。キルリアはサーナイトに進化し、順風満帆。
 それなのに、ネイティちゃんはネイティのまま。実戦登板の機会は殆どなかった。
 
 何よお、ご主人、あたしを使いなさいよ! 育てる気ないの!? あんたが育てないとあたしはいつまで経ってもことりのままなのよ!

 ぷりぷり怒って腹立ちまぎれに自然公園の桜の幹をつついて削る。どうだ、この鋭い技の精度。こればっかり練習していたから、くちばしはドーミラーより硬いわよ。ここだけ鋼タイプなの――と、アピールしたものの、イツキはバッジを獲得して緊張が抜けたのか、ベンチに座ってうたた寝していた。ひょろひょろの彼は疲れやすく、休憩が多い。その隣をキープしながらサーナイトが嬉しそうに事情を説明した。
 
 わたし達のご主人様は、ついつい強くて慣れてる子ばかり使っちゃうんですよお。癖ってやつう? だから、たまの出番にたっくさんアピールしなきゃダメなのですう。
 
 贔屓起用が目立つのはそのためか。最近はサーナイトばかり使われて古株のルージュラも面白くなさそうだし、ドーミラーは知らぬ存ぜぬを貫いたまま。だけど、彼女らが戦えなくなったらイツキはどうするつもりなのだろう。故障したり、伸びしろが無くなったり、盗られたり。その時に出番が回って来ても、ことりのままでは力になれない。呆れられて、捨てられてしまう可能性だってある。
 ネイティちゃんは思った。このままでは彼が大物になったその時、自分は手持ちの中に居ないのではないか?
 咄嗟に右目が動き、未来を確認しようとする。ネイティちゃんは慌てて真実に蓋をして、戸惑いをごまかすように桜の木をつつき始めた。予知は誇れる能力だったはずなのに、今は結果を見るのが怖くてたまらない。
 その音に起こされたイツキが寝ぼけ眼でぼんやりと口を開く。
「そろそろ君を育てないとなあ」
 そうそう、そうこなくっちゃ――ネイティちゃんの尻尾がぴんと空に向く。だが、イツキはうとうとしながらサーナイトにもたれかかるだけ。
「でもちょっとモチベーション出ない。後にしよう」
 彼はコンビニで買った栄養調整食品のスティック菓子とコーラを飲んで腹を満たした。きのみが好きなネイティちゃんはその棒菓子の良さが理解できない。イツキは偏食で食も細く、いつもそればかり口にしている。
 草むらにいた頃、頂点にいるポケモンは食が豪快で身体も太く、なるべくしてその地位にいるのだと思わせた。でも、彼は違う。いつまで経ってもひょろひょろふわふわのススキのまま。彼はそれで大成するらしいのだ。人間ってつくりが違うのね、とネイティちゃんは少し呆れた。
 
+++

 イツキが五番目のジムに勝てなくなったのはそれから二か月後だ。
 一般トレーナーと路上で行う野良バトルでは問題なく勝利を重ねているのに、何故かジムリーダー戦だけはまるで歯が立たない。サーナイトが最初にやられ、次いでルージュラ、ドーミラー。ネイティちゃんは苦し紛れの敗戦処理として最後に登板し、一撃で倒される。
 フィールドに飛び出した瞬間にやられることほど気分の悪い物はない。ストレスで身体が毛羽立っても、イツキは青白い顔をしてベンチで俯いたままだ。ネイティちゃんは傍の砂をつついてその苛立ちを発散する。
「おかしいなあ……」
 負けて悔しいのは彼も同じだろう。
 敗北を立て続けに四回見せられている分、一撃でやられるネイティちゃんよりふさぎ込んでいる。元々細くて頼りないのに、今は枯れたススキみたいに折れ曲がっていた。
「今まではサイコキネシスで押せば勝てたのに……何故なんだろう。相手は格闘使いで、相性は良かったはず……」
 手当たり次第に各地のジムを訪問しては負け続ける日々。イツキはぶつぶつと呟きながらいつものスティック菓子をかじる。
「思い切ってカントー地方に進出してみようかな。前から行ってみたいと思っていたし……エスパーが有利な毒タイプのセキチクジムなら、きっと勝てるはず……」
 彼はスティック菓子を片手に携帯でセキチクジムの情報をチェックしている。ジムリーダーにしか負けていないので、対策を練らなくとも手当たり次第挑戦すれば勝てると考えているのだろう。ネイティちゃんはイツキの足元にぽろぽろとこぼれる不味そうな菓子くずに砂をかけながら反発を示す。
 
 もう三つのジムで負けているのよ。どこへ行っても同じよ。まずはあたしを育てなさい!

 イツキは端末を操作しながら苦笑いした。小さな顔はここ最近で更に青白くなった。
「ボクはそもそもトレーナーに向いてないって? そうかもしれないなあ」
 
 そんなこと言ってない!

「君は未来が見えるんだっけ。それはネイティオ? まあいいや、先のことが覗けるならやってみたいな。セキチクジムで勝てる未来が見えたなら、ボクは高い船代を払ってカントー地方へ行くよ」
 その一言で、ネイティちゃんの糸が切れた。はっきりと、ぷつんと音がした。
 自分はずっと前に予知を封印し、敗戦処理に甘んじながらもまだ戦う意欲は見せている。それなのに主人である彼は、先に答えを知らなければ次のジムへの挑戦も足踏みしている有り様だ。その姿は未来を先取りして強いトレーナーを選り好みしていた少し前の自分に似て卑怯だ。

 このひょろひょろふわふわススキめ、いい加減にしなさい!

 ネイティちゃんは両足を踏み込むと、世話になったイツキめがけ渾身の電光石火で体当たりする。彼はベンチの外へ吹っ飛ばされ、砂を被りながら地面に倒れ込んだ。不摂生がたたった身体は弱く、すぐに起き上ることが出来ない。ネイティちゃんはイツキを睨みながら、スティック菓子を遠くに蹴り飛ばした。

 あたしやドーミラーの育成を放棄した上、ポロックの塊みたいな餌を食べてるから、身体も頭も追いつかずに負けるのよ! まずはそこを直さないと、あなたはいつまで経っても「ことり」のままよ!

 そして自分も、イツキが動かなければことりポケモンのままだ。共に進化しなければ、あの未来には結びつかない。黙っていても彼は成功するかもしれないが、サーナイトばかりがバトル経験を積むのも癪に障る。ネイティちゃんはイツキの前で一通り喚き散らすと、傍を流れるどぶ川から鮮やかな動きで鯉を捕獲し、とんぼ返りをしながら川辺に揺れるヨモギを刈り取る。どうだ、これぞ訓練の成果。さあ、自然の餌を糧にしろ。
 ところが、イツキは並んだ材料を見て苦笑するばかり。
「気持ちは有り難いけど、生臭い魚や野草は食べられないよ……」
 自分は手持ちに不味いポロックやドライフードを押し付けるくせに、ポケモンから差し出された餌は食べられないってどういうことだ。ネイティちゃんはトサカをピンと立ててひどく激怒し、イツキの足元めがけて連続つつき攻撃。追撃は止まず、避けた足跡を抉り取る。
「そ、そんなに怒らなくたって……」
 ふらふらと逃げるイツキを追い立て、一キロ走ったところでとうとう彼は道端にへたりこんだ。
「もうだめ、勘弁。眩暈がするよ……」
 それはネイティちゃんも同じだった。まだ身体が小さいことりで、その上「つつく」を繰り返していたからすっかり息が上がっている。でも、目的の場所には連れてこれた。くちばしをさっとイツキの後ろへ向け、そちらに視線を誘導する。道路沿いの小さな弁当チェーン。イツキは肩で息をしながらその店舗をじっと眺め、ようやくポケモンの意図を理解する。
「つまり君は、ボクに栄養が足りてないと言いたいのかい?」
 ネイティちゃんはこくりと頷いた。
 不摂生を自覚しているイツキはばつが悪くなり、渋々弁当屋に入る。栄養を取り戻そうと選んだのは幕の内だ。
 出来上がりを持って、近くの公園でふたを開ける。弁当に詰まっていたのは色とりどりの野菜の煮物や卵焼き、鮭フライに漬物など――胃に入りきるのかと心配したが、先ほどの運動ですっかり空腹になっていたので、無意識のうちに箸が進んだ。
「疲れてるからか、苦手なニンジンさえ美味しく感じる」
 なんでニンジンが嫌いなんだっけ、と首をひねりたくなるほど、野菜の旨みが身体にしみる。じっくり噛み締めているとすぐに腹が満たされたので、イツキはおそるおそるネイティを見た。同じく運動をして空腹の彼女は、食い入るように主の弁当を眺めている。
「食べる? ちょっと手伝って」
 ご主人の頼みなら、仕方ないわね――ネイティちゃんは進んでイツキの腿の上に飛び乗った。ベルトに装着したボール越しにサーナイトが睨んでいたけど気にしない。見せつけるようにカボチャをつまむ。喉の奥へとほどけていく優しい甘みが心地いい。ご飯をちまちまと食べながら、イツキも微笑む。
「美味しいよね」
 彼は少し反省したのか、公園から見える弁当屋をぼんやりと眺めながらおかずは全て食べきった。残したご飯をタッパーに入れて夕食に回し、同じ店で量り売りの惣菜を買ってそれをおかずにした。
 
+++

 それから一ヶ月はジム戦をやめてひたすらトレーニングに励んでいた。
 イツキはポケモンと共に走り込み、三食きちんと摂って夜更かしせずに寝る。これを繰り返しているうちにすっかり顔色は良くなり、いくらか体力もついた。小食なのでなかなか身体は厚くならないが、痩せ好みのサーナイトは既にショックを受けていた。

 ご主人様はわたしとお揃いの、すっきりスリムの方が素敵だったのにい……。

 馬鹿ねっ。ネイティが注意しなきゃご主人は干からびて死んでたわよ!
 
 トレーニングが増え、逞しくなったルージュラがここぞとばかりに反発する。彼女はネイティちゃんの味方だ。ドータクンは進化してもやはり無口だが、こちらを信頼してくれている。イツキの意識が変わってメンバーも頼もしくなったのに、ネイティちゃんだけは今だことりのままだった。イツキの偏食をなくそうとせっついたり、ランニングのパートナーをしているうちに後れを取ってしまったのだ。
 あたし、ご主人のために頑張り過ぎたかも――後悔はしないけど、焦りはある。順調に成長するイツキや仲間を見ていると、置いてけぼりにされている自分はやはり先の未来には捨てられているのかもしれない。
 今日はいよいよ五個目のバッジを取得すべく、タンバジムへの再戦に挑む日だ。ことりの自分に出番はない。だけどふて腐れずに主の雄姿を見届けるのだ。それで少しは自分の苦労が報われる。
「さあ皆、頑張るぞ!」
 タンバジムの受付を終えたイツキがジム内のバトルフィールドへ歩を進める。
 それを出迎えるのは、分厚い胸板を露わにしたこのジムのリーダー、シジマだ。彼の身体つきが好みのルージュラはボールの中でうっとりと見惚れ、そうではないサーナイトは顔を背ける。 
「おおっ、君はいつぞや、我がジムに挑戦したモヤシ少年じゃあないか! すっかり立派になって感心、感心。わしと再戦かな?」
 豪快な称賛がジム内に響き渡り、背筋をぴんと伸ばしたイツキがはきはきと返事をする。
「はい! また五個目のバッジをかけて、お願いします」
 ネイティちゃんはちょっと誇らしくなった。
 これで他の仲間が訓練の成果を発揮し、バッジを獲得すれば未練はない。次回のジム戦では戦力になるように、深夜に念力の壁打ちを増やそうかしら――考えている間に嵐に包まれ、あっという間に視界が広がる。
「いくぞ、ネイティ!」
 高い天井に吊るされた照明から淡い光が降り注ぎ、鮮やかな身体がぴかぴかと輝く。突如フィールドに立たされた緊張と興奮で赤いトサカがピンと持ち上がった。振り向くと、イツキが明るい顔で微笑んでいる。
「君はいつでもボクらを引っ張ってくれる、チームのリード・オフ・“ウーマン”だ。その素早い動きで、バトルに流れをもたらして」
 そういうこと――小さな身体は大きな使命でたちまち熱を帯びた。
 
 ふふん。流れどころか、バッジを咥えて戻ってきてやるわ!

「でんこうせっか!」
 イツキの声に弾かれ、ネイティちゃんは風を切り、シジマの一番であるオコリザルへ飛びかかる。磨き上げた瞬発力で懐に割って入り、くちばしをボディへ叩き込みながら敵が放とうとしていた「きあいパンチ」を空振りさせた。すかさず身を翻し、次の指示。
「あやしいひかり」
 息を吐くように念力を解き放ち、オコリザルを混乱させる。シジマの顔が歪み、イツキが次のボールを構える。とんぼ返りで交代か。だが、まだいける。ネイティちゃんの目配せを読んだ彼が追撃を命じる。
「ドリルくちばし!」
 狙うはでんこうせっかで突いて脆くなったへその辺り。イツキに怪我をさせず、くちばしで急き立て続けたネイティちゃんがその急所を的確に突くのは容易だった。磨き抜いた技で体格差があるオコリザルを一閃すると、審判が高らかと彼女の勝利を宣告する。
「オコリザル、戦闘不能。ネイティの勝利!」
 とうとう手にした初勝利。痺れるような達成感が心地いい。
「すごいよ、ネイティ!」
 こちらを讃えるイツキの顔もすっきりとして不安が消えている。これまでのジムリーダー戦ではストレート負けが続いていたから、先制の一勝に安堵しているのだろう。
 この流れならいける。
 イツキは彼女をルージュラと交代させ、最後にサーナイトへと繋いでタンバジム戦に勝利した。


「やっぱり君は違うなー。君が来てくれてから、ボクはどんどん調子が良くなった気がする」
 ようやく獲得した五個目のバッジを夕日に透かしたあと、イツキは後ろを歩くネイティを振り返った。今更、そんな当然のことを言われても嬉しくないが悪い気はしない。首を激しく上下に振っておいた。
 
 調子に乗っちゃだめよ。前より少しマシになったとはいえ、ご主人はまだまだひょろひょろなんだからね! 今日戦った人間のオスくらい鍛えなきゃ、もっと上にはいけないわ。
 
 その忠告に、イツキはのんびりと頷くばかり。
「そうだね、戦ったらお腹空いたよね」
 
 だから、そんなこと言ってないってば! ポケモンと話せないからって都合よく受け取らないでよ!
 
「シジマさんの奥さんからおかずをお裾分けしてもらったから宿で食べよう。こんなに沢山、助かるなー」
 彼は右手に持っていた大きなビニール袋を掲げてみせる。バッジを貰った後、シジマに体調の改善を褒められ、彼の妻が家族や弟子向けに準備していた夕食のおかずを大量に分けてくれたのだった。白い袋から立ち上る優しいご馳走の香りを嗅ぎ、ネイティちゃんは思わず背伸びをする。

 一人で食べきれるの? あたしにもちょうだいね!

+++

 個室のテーブルには魚のお造りや筑前煮、土鍋の炊き込みご飯などの料理が美しく皿に盛られて並んでいた。イツキは取り皿に確保していた海老しんじょをぱくりと食べて、空いたところに煮物や天ぷらを乗せていく。積極的に食べていくので、隣の席で残り一切れの厚焼き卵を持て余していたキョウが彼の前に角皿を滑らせた。
「いいんですか。貰っちゃいますね」
 するとシバも土鍋を持ち上げながら炊き込みを勧める。
「米も食うか」
「勿論、いただきます」
 よそってもらった鯛の炊き込みを頬張る姿は何とも幸せそうだ。気持ちのいい食べっぷりに、テーブルの反対側で焼酎のお湯割りを飲んでいたカリンが口元を綻ばせる。
「よく食べるわね」
「そこまで量を食べられる訳ではないんですけど、ポケモントレーナーはフィジカルが大事ですから。ワタルさんほど気を遣っていませんけど、万遍なく食べて栄養を摂るのは意識していますよ」
 手持ちのドラゴンを足にするワタルはポケモンへの負担を考慮し、日頃から食事制限をしているのであまり外食はしない。ポケモンに乗らない四天王はこの限りではなく、仕事が終わればこうして気ままな食事を楽しんでいる。
「若いうちはそれがいいぞ」
 食が太いシバは茶碗に炊き込みを盛りながら感心していた。
 ここまでは真似できないが、以前に比べれば随分と食べられるようになったイツキはしみじみとご飯粒を眺める。
「駆け出しの頃はお菓子ばかり食べていたから、栄養が足りなくてふらついてましたよ。それが原因か、五個目のバッジがなかなか獲得できなくて……急にジム戦に勝てなくなったんですよ。どん底でした」
 敗北のショックと貧血で身体は冷たくなり、ベンチに座るとすぐに立ち上がることが出来なかった。相棒との出会いがなかったら、この席でご馳走を食べることもなければ、どこかで野垂れ死にしていた可能性すらあった。イツキはボトルの焼酎で作った水割りを口にして、この時間に酔いしれる。
 ふいに、筑前煮をつまんでいたカリンが箸を置いた。
「確かに、五番目のジムくらいからリーダーのポケモンが強くなる気がする。あたくしも苦労したわ」
「そうなんですか?」
 意外な話を聞き、イツキは隣でお湯割りを傾ける元ジムリーダーに視線を向けた。
「そこら辺から上に行かせるトレーナーを見極めるからな。自己管理もままならん奴は論外。ランクが高いポケモンを使ってでも阻止する」
 例えとしてちらりと見せてくれたのは今も現役のモルフォンのボールである。イツキの背筋が寒くなった。
「厳しいですね。四天王クラスの手持ちがバッジ五個目の段階で出てくるなんて」
「ごく稀に突破するトレーナーがいて、そのまま何の問題もなく殿堂入りすることもあるがな」
 キョウはつまらなさそうに刺身を食べて、お湯割りで口直しする。
「天才ってことね」
 カリンが肩をすくめて苦笑いした。
 彼らも世間的にはその部類に入るが、それ以上に恵まれたトレーナーも存在するのだ。
 
 食事を終えたら次は二軒目で飲み直す流れだ。イツキはそれを断って、小さめのレザーリュックを背負いキャップを被る。靴は事前にリーグのロッカールームでランニングシューズに履き替えていた。
「ボクは家が近いので、酔い覚ましに走って帰ります」
 カリンが目を見張る。
「近いって……それでも十キロ以上離れてなかった? タクシー拾えばいいのに」
「いい運動になりますから。お疲れ様でした」
 イツキはリュックのポケットからボールを取り出すと、その場にネイティオを呼んで自宅の方向へ駆け出していく。「あいつ、意外にストイックだな」とシバの声がした。
 そんなことはない。気を緩ませると、楽して上に行きたいと甘えてしまう。かつて壁に当たった時も、鍛え直さずに勝てそうなジムを探していた。
「あの時、セキチクジムに行かなくて正解だった。絶対に負けてたよ。君のお陰だ」
 隣を飛ぶネイティオがすました表情でこちらに視線をやった。

 過去に感謝するのはもういいわ。ご主人が見据えるべきはここから先よ。
 
 くちばしをさっと前に向けると、イツキは言わんとしていることを理解したらしい。
「そうだね。ボクらは着実に王座を目指すんだ。君がいればきっと叶うよ」
 彼は自分と出会ってから上り調子になっていると思い込んでいる。そんなことはない。彼は努力の天才だ。あれからバッジを集め、世界中を旅して回り、ポケモンの修行に明け暮れた。人より遥かに多くの訓練を重ね、それは四天王という地位で実を結び、ネイティオがことりだった頃に見た未来通りの結果になった。そんな彼が今の地位で終わるはずがない。わざわざ念力で覗かなくとも、既に将来はおぼろげながらも形作られている。

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