カリンのホワイトデー

 三月に入ってもセキエイ高原の寒さは緩まない。
 ポケモンリーグの暖房の効いた休憩室でホットコーヒーを飲んでいたワタルは、この場に男性の四天王が全員揃っていることに気が付いた。普段はリーグバトルや取材等で休憩の時間が合わないから、この面子は珍しい。そしてカリンが居ない。彼は機を逃さず、前から気にしていた話題を切り出した。
「来週はホワイトデーだな。カリンに何か買った?」
 一人掛けのソファでそれぞれくつろいでいた四天王がこちらを見る。携帯に目を落としていたイツキはかぶりを振った。
「いや、まだです。それ、近々相談しないとなって思ってたんですけど」
 彼は携帯を肘掛けに置くと、ソファに座り直して同僚を見回した。
「個別でお返しするより、お金を集めて合同でプレゼントを贈った方がよくないですか」
「それがいいな」
 シバが合意し、キョウも頷く。
 やはり全員がホワイトデーを気にしていたらしい。ワタルは安心したようにコーヒーを口にして、話を続ける。
「何がいいんだろう。バレンタインはいかにも高そうなチョコを貰ったけど、やっぱりあれの倍はするお返しを選ぶべきかな。一箱三千円として、四人でその倍の金を集めると大層なお菓子が買えそうだ」

「スイーツなんてダメですよ。やっぱり十倍返しくらいしないと、カリンさん怒りそう」
 イツキの提案に、ワタルは目を見張る。
「十倍って……高級バッグやアクセサリーを贈れってことかい?」
「そうですよ、義理とはいえ相手は四天王のカリンですよ。誰よりもお洒落で審美眼があるあの人にいただいた高級チョコのお返しなら、やはりそれ以上の贈り物をしなければ」
「それなら尚更、消え物の方がいいと思うんだが」
 持ち物にこだわりがあるタイプなら、好みが分かれる物品は逆効果ではないか――呆れるシバに、隣のソファに座っていたキョウも同意する。
「確かに……まあ、気に入らなければ質に持っていけばいい話だがな」
「飲み屋のお姉さんへのお返しとは訳が違うんですよ。本気で挑まなければボクらの面子に関わります」
 イツキだけはやけに張り切っている。それは本当に自らの立場を気にしているのか、それとも。
「イツキくんだけ個別に贈ってもいいよ」
 ワタルがからかってみると、彼は眉間にしわを寄せながらきっぱりと否定した。
「そういう意味じゃないですってば」

「金は出せる。だが、何を買うんだ。恐らく、直接カリンに欲しい物を聞いてもバッグだ靴だのとは答えないと思うぞ」 
 カリンは見た目こそ派手だが、日ごろ我がままに振る舞っている訳ではない。と、疑問を投げかけるのはやはりシバである。彼は口数は少ないが、その分周りをよく見て行動するきらいがあった。それにはイツキも感心する。
「シバさんって意外と洞察力ありますよね。確かにその通りかもしれない」
「どうやって探るんだ」
 口を挟むワタルへ、四天王の視線が集中する。
「え、おれ?」
 ワタルは再び目を見張る。
「この中で一番聞きやすそうだから」
 イツキのシンプルな理由に、他の二人も同意した。
 日頃から親しみやすさを心がけているチャンピオンにはこれ以上ない役回りである。
  
+++

 狙いは終業後のロッカールームだ。
 セキエイリーグには四天王専用のロッカールームが男女それぞれ一部屋ずつ用意されており、その突きあたりにチャンピオン専用の部屋がある。リーグが終了した後にカリンに話しかけるならここの廊下か通用口しかない。男性四天王用のロッカールーム前で待ち伏せしていたワタルは、通路の奥からブラッキーを引き連れたカリンがやって来るなり、笑顔で労をねぎらった。
「やあ、カリン。お疲れさま。ブラッキーも」
「お疲れ。何か用?」
 どこか不自然なチャンピオンの仕草に、滑らかなカーブを描くカリンの眉が持ち上げる。不審がる姿に内心焦りつつ、ワタルは溌剌な態度で尋ねた。
「いや実は聞きたいことがあって……最近、欲しい物ってある?」
「なあに? ホワイトデー?」
 この鋭い反応に、扉一枚隔てた男性ロッカールーム内で聞き耳を立てていたイツキはがっくりと肩を落とした。
「一瞬でバレてるじゃないですか」
「ここまで直球だとは思わなかった」
 ワタルは思いのほか直情的なところがある。付き合いが長いシバはそれを思い出し、溜め息をついた。

「そうね、タマムシデパートで売っているフルーツのグミゼリーがいいわ。あれ好きなの」
 カリンが希望しているお菓子の値段はバレンタインに貰ったチョコレート一箱分に相当する。それでは十倍返しもままならない。ワタルは表情を強張らせた。
「それでいいのかい? もっと良い物を……」
「あたくしも大したものはあげてないでしょ。気遣う必要はないわ」
 彼女はさっぱりと笑う。
 なるほど、それならグミを贈ることにしよう――ロッカールームではその結論には至らなかった。
「ほらー、逆に気を遣わせてるじゃないですか。チャンピオンに頼むんじゃなかった」
 イツキはロッカー前のオフィスチェアに座り、くるくると回転しながら文句を垂れる。ここまできたら意地でも十倍にして返したいらしい。トレーナー特有の負けず嫌いがそうさせるのだろうか。シバが次の手を提案した。
「お前のエスパーポケモンで探れないのか」
「ヤマブキジムのナツメさんみたいなことはできません」
 イツキは苦々しく突っぱねながら、隣のロッカーで帰り支度をしているキョウに視線を滑らせる。彼も元ジムリーダーで、担当のジムは忍者屋敷と呼ばれていた。
「そうだ、こんな時こそ現代に生きる忍者の出番ですよ」
 オフィスチェアから勢いよく飛び上がり、背もたれを押しながらキョウに詰め寄る。活動している姿は見たことがないが、彼が本物の忍ならば、この程度の調査など容易いはずだ。イツキの提案に、シバも賛同する。
「いい案だ。おれも、忍者がどういう仕事をするのか気になっていた」
 忍者の末裔という触れ込みながら、忍らしさを見せるのは格好とプレースタイルだけ。娘のアンズは見事な変装の腕を持っているのだから、父である彼にはそれ以上の技術があるはず――好奇心を覗かせる同僚らにキョウは呆れ、その依頼をきっぱりとはね除けた。
「断る。こんなくだらんことで動きたくない」
 それで退かないのがリーグトレーナーの性だ。その傾向が特に強いイツキは、煽るように反発する。
「今やらなくていつ動くんですか。本格派のコスプレイヤーだなんて思われたくないでしょ」
 これにはさすがの最年長もむっとして眉をひそめた。
 その時、ロッカールームの扉が開いて事情を知らないワタルが朗らかな顔を覗かせる。
「お待たせ。カリンへのお返しは、グミゼリーがいいと思うよ」
 張りつめていた室内の空気が一瞬で脱力する。イツキはそちらに厳しい視線をやりながら、救いを求めるように呟いた。
「キョウさん以外の隠密ってこれが限界ですよ」

+++

 タマムシシティの路地裏にある小さなバーにカリンが入店すると、カウンターに座っていた数名の先客がにわかに浮き足立つ。皆がその美貌と気品に惹きつけられる中、口髭をたくわえた初老のバーテンが彼女を一番奥の席へ案内した。
「いらっしゃいませ」
「マスター、いつもの」
 カリンがここへ来るときはいつもこの席で、最初の一杯も決まっている。スコッチの水割りを作るバーテンにカリンが微笑んだ。
「もうすぐホワイトデーよね。昨日、うちのチャンピオンに何が欲しいか聞かれちゃった。高いバッグでもお願いすれば良かったかしら」
「快く応じてくれますよ」
 バーテンは穏やかに微笑み、カリンの前に水割りのグラスを置いた。
「あら、我がままな女に見える?」
 グラスを傾け、カリンがマスターに笑顔を向ける。彼が返事をする前に、二つ隣の席に座っていた会社員風の痩せた中年男性が割って入った。
「美しい貴方になら何でも差し上げたくなりますよ」
 カリンは唇を緩めてスコッチを飲み、男にあしらうような視線をやった。
「そうねえ。貰えるならリーグの王座がいいわ」
 挑発的で妖艶な笑顔に、男の顔が強張る。それを贈ることができる男は、この世にほんの一握りだ。彼の反応を楽しむように、カリンはまた酒を口にして付け加えた。
「それも、あたくしの実力で譲らせるの」
「素晴らしい」
 バーテンがグラスを拭く手元に視線を落としながら、唇の端を持ち上げた。落ち着いたバーの空間に嘲笑が混じり、それに焚きつけられた男は尚もめげずにカリンに問いかける。
「バトルがままならない男達は、何を贈れば喜んでもらえるのでしょうか。手の甲への熱いキス?」
 男が用意している答えに誘導する、回りくどい冗談だ。カリンはうんざりしながら水割りを飲み干した。
「キスじゃお腹すら満たせないのよね」
 彼は待ち構えていたように食い付いてくる。
「ではダイヤモンド……」
「煩わしいのではありませんか」
 バーテンは男の会話を遮るように語気を強めてそう言うと、身を乗り出しながら二杯目の水割りをカウンターの上に置いた。バーの空気がぴりっと張りつめる。
「貴方のようなトレーナーが光り物を身に着けるのは」
 カリンの前で口調を和らげ、バーテンは店の雰囲気を元通りにした。
「よくご存じね」
 それに気が付くのは、この店に通い始めた頃からよくポケモンの話をしていたからだろうか。この人、最初はポケモンに疎くて悪タイプの名前すら出てこなかったのに。カリンはその成果に目を細める。
「悪ポケモンは宝石に誘惑される子が多くて困っちゃう。それが理由かしら。昔からサテンの光沢が好きで、スカーフなんかで自分を飾るようにしているの。リボンは可愛すぎて、柄じゃないから付けないんだけど……」
 目ざとく未練を悟ったマスターが、黒い蝶ネクタイをちょっとつまんで眉を動かした。
「これもリボンのようなものですが、いかがでしょう」
 そちらは穏やかな初老の彼によく馴染んでエレガントだ。カリンは思わず頬を緩める。
「ふふ、素敵よ」
 リボンは可愛らしくて子供っぽい、という固定観念は取り払うべきだ。カリンは水割りを口にして、背筋を伸ばす。
「イメージに囚われる生き方はらしくないわね。今度、買ってみようかしら。モノトーンの控えめなリボン」
 ちらりとバーテンを覗き込むと、彼はグラスを拭きながら微笑みを返した。

+++

 本繻子のシンプルなリボン。白か黒。光り物なし――結果は、そう記された小さなメモになって帰って来た。タマムシデパートのアクセサリー売り場へと向かうワタルは心から感心する。
「本当に聞き出してきた。あの人、本物の忍者なんだな」
 隣を歩くシバも頷いた。
「どうやって調べたのかは教えてくれなかったが、まあ構わん。リボンくらいならホワイトデーにちょうどいいな」
 白を基調にした明るく華やかな売り場に並んで歩く男二人は大変目立ち、すれ違う女性客が振り返る。元々、多くの一般人に顔を知られた存在なので、念のため地味な私服に着替えて伊達眼鏡をかけていたが、三秒見れば正体が分かる風体だ。
 カリンが好きなブランドのテナント区画へ立ち入った途端、販売員らもすぐに気付いてはっと驚く。そんな反応を見れば無理に隠す必要もない。ワタルは眼鏡をシャツの胸ポケットに入れ、親しみやすい笑顔で尋ねた。
「すみません、四天王のカリンに似合うリボンを選んでもらってもいいですか」
 販売員の目が好奇の色に変わりかけたので、ワタルはすかさず付け加える。
「口説くつもりはなくて、ホワイトデーのお返しです。白か黒の、本繻子とやらで、光り物が付いてないタイプがいいんですけど。見繕ってもらえますか」
 そこまできっぱりと断言されると疑う余地もない。販売員はやや落胆しつつ、「お待ちください」と頭を下げて展示しているアクセサリーをトレーの上に集め始める。その様子を横目に、シバがぽつりと呟いた。
「お前はいつも直球だな」
「こういう時は下手に誤魔化すより、素直に話した方が疑われずにすむよ」
「一理ある」
 少しでもその気を見せればゴシップ好きの人間が、ポチエナみたいに集まってくる。潔癖をアピールし続けるのは大変だ。そんな会話を続けるうちに、販売員が店内にある様々なリボンを集めて戻ってきた。
「こちら、いかがでしょう。サテン以外にも色々お持ちしました」
 スエードのトレーの上にモノトーンのリボンがずらりと並ぶ。
 販売員もカリンのファッションの傾向をよく理解しているのか、サテンやレザーを軽く結んだ、蝶ネクタイのようなシンプルなヘアゴムが多い。どれもクールな雰囲気のカリンに似合いそうな気がした。
「うーん、そう高いものじゃないし全部買うか?」
 十数個のリボンを前に、選べないワタルがシバに尋ねる。総額で六倍返し相当だが、彼は否定的だ。
「恋人からの贈り物ならまだしも……似た色の髪飾りをこんなに貰っても困ると思うぞ。二つか三つだな」
 これには販売員も何度も頷いている。
「ついでにお前が聞き取りした菓子も付ける。そうすれば釣り合いはとれるだろう。義理で十倍はさすがに馬鹿馬鹿しい」
 ごく真っ当なシバの意見を通し、販売員に厳選してもらった白と黒のヘアゴムをそれぞれ一つずつ購入することにした。これにラッピングと、指定のグミゼリーを付ければおよそ二.五倍返しとなる。この程度ならカリンも気後れしないだろう。ただし、買い物に呼ばれなかったイツキだけは不満に思うかもしれない。それこそがシバの狙いだと、ワタルはようやく気が付いた。
「ああ、だからイツキくんを外して買い出しに来たわけか」
「あいつがいると更に余計な物を買いそうだったからな」
 以前はポケモンバトルばかりに打ち込んでいる印象の彼だったが、少し落ち着いた今は四天王の兄貴分的な存在になっているらしい。ワタルはほっとしながら会計を済ませることにした。

+++

 三月十四日の終業後、プレゼントの手渡しを任されたイツキがロッカールーム前でカリンに紙袋を差し出した。
「カリンさん、先月はバレンタインありがとうございました。これ、ボクらリーグトレーナー一同から、ホワイトデーのお返しです!」
「ありがと。このお菓子、好きなのよねー。嬉しいわ」
 カリンが上品な紙袋だけを見て目尻を下げるので、イツキは得意げな顔をしつつ開封を手引きした。
「グミだけじゃ味気ないので、オマケも入ってますよ」
 カリンはそれでようやく、お菓子の箱の上に枕型の小さなギフトボックスが乗っていることに気が付いた。表面に箔押しで印字されているのは、彼女が贔屓にしているアクセサリーブランドである。近々その店に行こうと思っていたところだった。
「あら」
 思わず手に取って開封する。
 中にはリボンのついたヘアゴムが二つ入っていた。
「これ」
 店に足を運んでも、きっと自分は同じものを選んだはずだ。白いレザーを結んだシンプルなリボンと、細身の上品な黒いサテンリボンは幼さを感じさせず、媚びないのに魅力的。こんなに素敵なリボンがあったなんて。息を呑むカリンに、イツキが胸を張った。
「カリンさんに似合いそうなものを選びました」
 さらりと言っているが、それなりに時間をかけて探し出したことは想像に難くない。
「なかなか素敵ね。使わせてもらうわ。本当にありがとう」
 カリンは機嫌よく頬を緩めると、紙袋を下げて女性用のロッカールームへと去っていく。十倍返しとはいかなかったが、軽やかな足取りを見ればその喜びは明らかだ。イツキも嬉しくなって、にんまりと微笑んだ。
「ボクのホワイトデー計画、大成功!」
 すると背にしていた男性ロッカールームの扉が少し開いて、シバが釘を刺す。
「お前だけの手柄じゃないぞ」
「分かってますってば」
 
 カリンはロッカールームの姿見の前に立ち、袋から出した黒いリボンを耳の上に当ててみる。
 艶やかな巻き髪に馴染む、優雅な曲線に心が躍る。子供っぽくなるかもしれないとリボンは敬遠し続けていたが、それを勧めてくれたマスターと、好みを見抜いてプレゼントしてくれた同僚のお陰だ。だが、あまりに出来すぎた展開は逆に奇妙である。
「マスターはともかく……どうしてリボンが欲しいことが分かったのかしらね」
 床でゆったりとくつろいでいたヘルガーも首を傾げる。
「イツキのエスパーポケモンに心を読まれたのかも? 見かけによらず、ズルい男ねえ」
 ヤマブキジムのリーダーはその能力に長けているので、きっと彼も同じことが可能なのだろう。やや呆れながら、耳の下でリボンゴムを使って髪を緩く束ね、右へ流してみた。黒いリボンはカリンの美しい髪をきゅっと留めて、上品に輝いている。
「でも、これ本当に素敵」
 新しいヘアアクセサリーを使う時は高揚感に満たされるが、今日は特に気分がいい。姿見をまじまじと見つめながら、こちらを見上げるヘルガーに身体を捻ってポーズを取ってみせた。
「似合う?」
 ヘルガーは嬉しそうに吠え、ついでに物欲しそうな眼差しを主に送る。同性だから、お揃いにしてもいいかもしれない。
「帰りにタマムシのセレクトショップへ寄りましょうか。あなたにもリボン、買ってあげる」
 カリンはロッカーに置いていたクラッチバッグを手に取ると、ヘルガーを引き連れて部屋を出た。

【BACK】

inserted by FC2 system