第7話:ケイコウオ

 ケイコウオは昼間に太陽の光を集め、夜になると鮮やかに輝くという。
 小学生の頃、そのポケモンに名前が似ているからと男の子にからかわれていた同級生がいた。街の名前に似ている自分も一緒に馬鹿にされ、きっぱりとあしらうたび彼女から感謝されたものだ。
「ありがとう、助かる。ナギサちゃんってカッコイイねー」
 だが、ナギサは徐々にその感謝が嫌になっていた。
 言い返すのはいつも自分ばかりだ。ケイコちゃんはこちらを盾にして、男子からの印象を落とすことはない。からかうことでしかケイコちゃんの気を惹けない彼らは益々調子に乗り、ブスの自分が巻き込まれる悪循環。環境に恵まれた女の子ならではのしたたかさが苦手で、自然とケイコを避けるようになっていた。それでなくても彼女みたいに派手で明るい女の子は苦手だ。
 それなのに、どうしてあの時誘いに乗ってしまったのだろう。
「ねえ、今度ランチ行かない?」
 車に乗ったケイコから連絡先が書かれた名刺を貰い、リーグ所在地の市にあるイタリアンに来たのは何故だろう。
 店は眩暈がするほど洒落ていて、通された窓辺の席に座る、黒いオフショルダーに白いショートパンツ姿のケイコは瑞々しい輝きを放っており、時折通行人がこちらを振り返る。引き立て役の自分はただ惨めだ。進化しないヒンバスと、コンテスト常勝のケイコウオが向かい合っているみたい。

「何頼むー? ここのランチはプッタネスカとバーニャカウダのセットがお勧めだよ」
 ケイコがポケモンの技みたいな単語を発しながら微笑みかける。何それ、フェアリータイプの新しい技? アルバム風のメニュー表には文字しか記載されておらず、ナギサにはイメージがさっぱり湧かない。オムライスとか、分かりやすいメニューも置いてくれ。
「じゃあ、私、それにするよ」
 俯いたまま、ぼそぼそと呟いた。
「あたしはパスタをボロネーゼにしようかな」
 ケイコが垢抜けた美人の店員を呼び、同じセットを注文する。
 未知のメニューに委縮する自分はこの店の汚点だ。化粧っ気のない地味顔に、毛玉だらけのサマーニットと履き古したジーンズ、久々の外食だからとひっつめ頭に飾り付けてみた水色のシュシュはコンビニのレジ脇で見つけた三百円のポリエステル製で、身に付けている何もかもが貧乏くさい。
 あまりにも居た堪れないので適当な理由を付けて帰りたくなったが、嬉しそうに笑うケイコを見るとそれも憚られる。
「ありがとね、急な誘いなのに。同級生と会えたことが嬉しくてさ!」
 たとえ億劫でも自分がここへ来たのは、その理由かもしれない。
 旅をしていた十二年間は手持ちポケモンだけが味方で、すべての人間が敵だった。そんな考えだから友達もできず、会社も年上ばかりだから気軽に話せる人はいない。内心寂しかったから、苦手なケイコちゃんでも会話したいと思ったのだ。自らの性格の悪さに呆れながら、ナギサは作り笑いを浮かべる。
「私のこと、よく覚えててくれたね……」
 ケイコは不思議そうに首を傾げる。
「だって同じように名前でからかわれてた仲でしょ。あの時はよく助けてくれたよね。あたし、嬉しかったんだ」
 久しぶりに懐に潜り込む可愛い笑顔を見て、心が揺れた。昔は散々利用されたのに、まだ許したくなる自分がいる。
「そっかあ……からかわれた記憶も曖昧だから、なんとも……」
 作り笑いを引きつらせたままへらへらと歯を見せたが、ケイコは少しも表情を緩めなかった。

「あたしはまだ根に持ってるわあ。からかった男子は皆、バトルでねじ伏せてやるつもり。足取りはSNSでチェックしてるから、こっちに来てるのが分かったらボコボコにしてやるんだ」
 眉間にしわを寄せて力強く断言すると、ケイコの派手な雰囲気がさっと影をひそめる。その言葉の裏側には復讐というより、負けず嫌いの執念じみたものを感じて背筋が寒くなった。
 ケイコちゃんって、こんな女の子だったっけ。
 クラスでもとびきり明るく可愛くて、常に目立っていた記憶しかない。そんな姿は地味なナギサには眩しすぎて敬遠していた。今回も当時の感覚のまま、適当に流す。
「すごいね。小学校の記憶はあまりなくって」
「そうなの? じゃ、隣のクラスのタケシくんのことも知らない?」
 そんなありふれた名前は覚えていないが、あまりにも忘れっぱなしでは心証が悪いので言葉を濁した。
「あ、なんか、いたような……」
「地区大会でいつも優勝してさー、ちょっとした有名人だったよ。それが今やジムリーダーだもんね」
 同級生がジムリーダー。ぽかんと口を開けたまま言葉を失うナギサに、ケイコが目を見張る。彼女としてはこちらの反応の方が驚きらしい。
「知らないの? 何年か前にニビジムのリーダーに就任したんだよ。割と上手くやってるみたい」
 急いでトートバッグからスマートフォンを取り出し、セキエイリーグの公式サイトにアクセスする。ジムリーダーリストからニビジムを選択し、最初に表示された顔写真にはおぼろげながらも見覚えがあった。当時、学校で一番バトルが強く、ポケモンの知識も飛びぬけていた同級生。
「ほんとだ」
 ぽかんと口を開けて固まったままのナギサを、ケイコがけらけらと笑い飛ばす。
「ええ、マジ? 浦島太郎か?」
 馬鹿にされているみたいで気分が悪い。こうやって派手な女の子グループからいじられるのが嫌で、関わらないようにしていたことも思い出した。頬骨に熱を感じながら、必死に苦笑いを作る。
「旅をしてる間はニュースとか全然見ないから知らなかった」
 新聞やテレビを見なくなると情報媒体はモバイルサイトのみとなり、興味のある見出ししかクリックしない。元々あまり携帯を触らないから、すっかり世間に疎くなった。これでは笑われて当然ともいえる。

「『セキスピ』やらないの? タケシくんの手持ちで戦えるよお」
 セキスピとは「実況セキエイリーグスピリッツ」というポケモンバトルゲームのシリーズタイトルだ。プレイヤーがセキエイリーグ支配下のプロトレーナーの手持ちを使ってポケモンバトルをしたり、手持ちをタマゴから育成が出来る内容で、ナギサも小学生の頃に据え置き機で遊んだことがある。チョウジジムリーダーのヤナギと四天王のキクコの手持ちからパーティを組むのが楽しかった。
 毎年新作が発売され、その都度トレーナーのデータも更新されていたから、買い続けていればタケシの活躍にも気が付いたはずだろう。最近は携帯機でもプレイ可能らしいが、旅に出てからゲーム自体触っていなかった。
「ゲームは集中力が続かなくて……やる暇あったら寝たいって言うか……」
 無趣味で世間知らずを自覚し始めると一層惨めな気分になった。会話も受け身で退屈だろうに、ケイコはこちらの反応を逐一拾ってくれるから途切れることがない。
「分かるー。昔はハマってたけど、大人になってから遊ぶとシンドイよねえ。バトルのシュミレーションにはなるけど、ゲームでもポケモンを育成するのは面倒なんだわ」
 ケイコは椅子の背もたれに寄り掛かりながら肩をすくめる。共感してもらい、ほっとした。
「そうだよね。仕事での育成もつらいのに、ゲームまでそれをやるのは……」
「仕事で育成? 今、何やってるの?」
 ケイコが背もたれから身体を離し、興味深くこちらの顔を覗き込む。こんな自分をどうして知りたいのだろう。美しい顔に臆しつつ、なんとか答える。
「ブ、ブリーダー」
 ケイコがおおっ、と声を上げた。
「何系? ほら、色々あるじゃん。カタログとか、育て屋とかさ」
「セブンスマン……」
「すごいじゃん、それ!」
 ケイコが声を弾ませた時、店員がやってきて、テーブルにコンソメスープとバーニャカウダを置く。とっ散らかった野菜スティックの山と泥みたいな色のソースは少しも食欲がそそられない。それより、ケイコちゃんと会話がしたい。

 久しく友達付き合いから離れていたからか、あれこれ聞かれては嬉しそうに反応してくれるこの会話が心地いい。他に自分を褒めてくれるのは社長くらいだ。
「そ、そうかなあ」
 はにかみながら、ニンジンのスティックを何もつけずに一かじりした。青臭くて甘ったるい。ニンジンってこんな味だったっけ。ケイコはつけまつげを重ね、化粧で大きく見せた両目を輝かせながら身を乗り出した。
「尊敬する! セブンスマンって若葉トレーナーを守るポケモンのことでしょ。歓楽街では毎日見かけるよ。うちの店の子も何度か世話になったみたいで、黒服より頼りになるって言ってた」
 ナギサ自身もこの地方に来てから初めてセブンスマンを目にしたのは歓楽街の入り口付近である。トラブルが多いエリアだから活躍の機会も多いのだろうが、それほど重宝されているのは初耳だ。胸の辺りがじんわりと熱くなった。
「うちのお客の娘さんなんかはね、野生ポケモンに襲われた時にセブンスマンに救われたことをずっと感謝していて、旅が終わった後、すぐに引き取りの申請をしたみたい。引退はまだずっと先で抽選になるみたいなんだけど、どうしてもその子を迎えたいんだって。それほど恩を感じるんだね」
 それほど感謝してくれる女の子がいるなんて。
 先日会社にやってきたあの少女とは大違いだ。土下座の恥辱が抜けないナギサは気を良くしたのと相まって、つい口を滑らせる。
「そ、そうみたいだね……でも、たまに旅先での売春の罪を擦り付けようとする人もいるけどね」
「えー、何それ。自業自得じゃん」
 ケイコが肯定してくれて嬉しくなった。好きで中高年と寝ていたくせに、避妊に失敗したら泣きつくなんて都合が良すぎる話だ。そう思うのは自分だけではないことにほっとしたが、水を売るケイコはあまり笑わずにトマトをつまむ。
「身体と一緒に心まで売っちゃったから、一番身近なセブンスマンに縋りたかったのかもしれないけどねえ。売りに対する覚悟が甘かったんでしょ」
 不穏な空気を察して気まずくなった。
 ケイコちゃんも、同伴の親父達とそういう関係になっているのだろうか。これほどの美人ながら、どうしてなりふり構わないのか理解に苦しむ。この前だって、わざわざミニスカートを履いて客の「パンツが見える車」に乗っていた。そんなキャバクラ嬢に比べると、ブリーダーの汚れ仕事がとても誇らしいものに思えてきた。
 ナギサがニンジンを飲み込むのを待って、ケイコが話題を戻す。
「あとさ、どんな場面でも絶対に威力が落ちない技を覚えてるの。あれもすごいよね」
「そうだよ。忘れないし……」
 そこも大事だから、付け加えておく。ケイコが探るような目つきで首を傾けた。
「ねえ、アレ、どうやって教えるの?」
「それは……」何百回と教え込んで――と語る前に頭の隅に僅かに残っているコンプライアンスが待ったをかける。「企業秘密」
 調子に乗って何でも話してしまうところだった。トマルもそうだったが、懐に潜り込まれると唇が潤滑になる。
「だーよねー」
 ケイコはさっぱりと笑い飛ばしながら、ニンジンをソースに付けて口の中へ放り込んだ。
「あの技をモノにできたらリーグも楽に通過できそうなんだけどなあ。すっごい難しそうだねえ」
 ナギサは目を見張る。ケイコが反応通りの答えを返した。
「あたし、トレーナーやってんの」
「あれ……じゃ、キャバって言うのは……」
 聞き間違いだったのか? ケイコはにこやかに頷いた。
「それやりつつのトレーナーだよ。SPリーグのチャンピオンになりたいから、今、根回ししてるとこ。バッジは全部集めたよ!」
 次の野菜を摘まもうとした指が空振りし、皿を撫でた。
 店員がメイン料理であるパスタを運んできて、テーブルに並べる。その間に気持ちを整理しようとしたが、目の前の派手な水商売女はとてもジムを制覇したトレーナーには思えない。

 固まったままのナギサを見て、ケイコがにやりと笑顔を傾けた。
「いつも、そうやってびっくりされるんだよねえ。ギャルって弱く見えるのかな?」
 こちらを覗き込むケイコちゃんはびっくりするほど顔が小さく、息を呑むほど美しい。旅をしていれば身なりに気を遣う暇などないと思っていたのに、どうしてここまで隙がない美貌を作りこんでジムを制覇できるのか。愕然とするナギサに、ケイコが更なる追い打ちを掛ける。
「あたし、三大リーグのバッジも全部集めてるよ。セキエイ、ホウエン、シンオウね。ああ、セキエイは九個」
「すごい」
 素直に声が出た。
 自分は十二年間がむしゃらに旅を続けて、セキエイリーグでバッジ七個、そしてSPリーグバッジ八個のみ。その上、容姿には気を遣わずに戦ってきた。それでも平均より上にいるものだと思っていたのに、この格差を見せつけられてまた惨めな気分になる。
「だけど殿堂入りは出来なくってさあ……ホウエンリーグの四人目の四天王に負けたのが最高記録かな。うま、やっぱりここのパスタは美味い」
「その後に、この地方に……」
 挽き肉のパスタを頬張りながら余裕を見せるケイコちゃんが悔しくて、つい口を挟んでしまう。彼女はスープを飲み、会話に戻った。
「や、それまではジムトレーナーしてたの。そっからリーダーになってリーグに上がろうかと考えていたんだけど、あれは難しいからやめた。面倒くさすぎい」
 彼女はまたパスタを口にする。
 一般人がプロのトレーナーを目指す際、その代表的な入り口となるのがジムトレーナーである。世襲ではないジムに弟子入りし、リーダーの信頼を得てテストを重ねながらトップを目指すのだ。ヤマベもそうしてアサギシティのリーダーになり、その門下生らしいセンリはトウカシティのジムを任されている。

 ケイコが目指すのはそこから更に上だ。そのためにはポケモンバトルの他に身の振り方が重要となるらしい。彼女は残り少ないパスタを巻かずにフォークに乗せ、物足りなさそうに眉をひそめた。
「ジムリーダーってのはさ、地元に根付くほど後援会とかタニマチのしがらみで上に行けないことが多いんだ。これだけ目を掛けてやったのに担当する街を捨てるなんて裏切りだ、って僻む馬鹿な連中ばっかりなの。それを気にしてリーダーを世襲にして身内で固めるジムも多いから、奴らがどんどん付けあがるんだよねえ。ジムを手放してリーグに行くには、実力はもとより、相当な根回しが必要よ」
 タニマチはプロを支えるスポンサーのことだ。
 彼らはトレーナーを支援することを自らのステイタスとしており、プロもその援助から離れられない。
 ナギサも小規模な大会で優勝するたび、それらしき人間から援助の申し出がくることがあった。警戒心と、見栄っ張りどもの飼い犬にはなりたくない思いがあって断っていたが、その人脈は頂へ駆け上がるためには欠かせない。ケイコはそれをよく理解している。
「ジムトレ時代はタニマチ関連の見極めが甘かったわあ。うちのリーダーってば奴らに頭が上がらなくて、これは厳しいなーと思ったからジムを辞めてこの地方に来たの。こっちではペイトレが基本じゃん? だから、市内のキャバで働きながらスポンサーを集めてるんだ。土地勘ないから、これが一番手っ取り早いよ。ある程度のお金と実力があれば、上に行ける」
 ジムトレーナーだって所属するためにはいくつものテストをクリアしなければならないし、月謝も発生する。固まりかけていたキャリアを手放し、新天地で一からやり直す行動力はとても真似できるものではない。
 ナギサはセキエイリーグを諦めた時、レベルが低いこの地方で旅をする道を迷わず選んだ。しかし、ケイコはセキエイと同レベルのホウエンやシンオウに挑戦し、ジムに所属して着実に実績を積み上げている。
 彼女はパンツが見える車に乗せられているのではなく、見せながら乗っているのだ。そして確実にSPリーグに挑もうとしている。
 その姿が落ちぶれているようには見えなかった。そこまでやって王座を目指す、その執念がぐずぐず立ち止まっているナギサにはとても眩しい。

 ハローワークの職員に言われたあの言葉がよぎる。
 ――こんなことを言うと夢がありませんけど、この地方でリーグに再挑戦して殿堂入りした事例はほぼ皆無です。やっぱり、本気の人は旅をしながらスポンサーを募って資金をかき集め、現役の間にペイトレとして成功します。ナギサさん、そこまで本気が……。 
 職員が言っていた「そこまでの本気」がこれだ。
 頭の中でふわふわと浮かぶ甘い夢を現実にするためには、行動しなければならない。失敗を恐れる臆病者は指をくわえて空を仰ぐだけ。
 つついているパスタの味さえ分からず、感心だけが口を動かす。
「まだリーグに挑戦してないのに、スポンサー募るんだね……」
「常識だよお? 本気で挑みたいならね」
 ケイコはランチセットを平らげ、誇らしげに微笑んだ。
「殿堂入り以上の名誉を得るためには、相当な根回しが必要よ。プロのトレーナーは実力だけでは頂点に立てないの。バトルの腕と運、金やコネ、これらすべてをひっくるめて実力なわけ」
 バトルの腕だけでのし上がれると信じていたナギサには耳が痛い。あんまり響いて鼓膜を小突き、耳鳴りになる。
「あたし、何が何でもチャンピオンになりたいんだ。SPリーグが他の地方に見劣りしてもいいよ。それでもチャンピオンはチャンピオンだからね。他よりレベルが低い分、確実に動かなくっちゃ」
 ああ、そんなことまで頭が回らなかった。
 レベルが低いから、私でもチャンピオンになれる。不確かな自信だけを抱えて四天王に負けた。きっと、自分と同じ考えのトレーナーは星の数ほどいて、見通しの甘い人間どもがハローワークに集まるのだろう。そこから抜け出したことに安堵し、惰性で仕事をしながらヤマベや警護トレーナーを見下していたのが情けない。
 自分は目の前の女の子に何一つ勝てないじゃないか。勝っているとすれば貞操くらい。水商売に比べたら、ブスの処女の方がましだろう。
「自分を売るキャバなんてやってて大丈夫? 経歴に傷がつくんじゃ……」
 重箱の隅をつつくような言い方は我ながら癪に障る。
 今までろくに見た目を気にしてこなかったのに、この時だけ女を意識するのは愚の極みだ。
「そんなのいくらでも誤魔化せるしい」
 ケイコは予想通りの笑顔を見せる。
 言わなきゃよかったと、すぐに後悔した。
 スポーツ選手の嫁が持つ、家事手伝いや飲食業の前歴はケイコのような水商売だったりすることが多い。口裏を合わせるなんて、リーグ制覇より容易いだろう。
 
 惨めだ。もう帰りたい。
 食べているランチの味がさっぱり分からなくなった。
「もういつまでも夢見てられる年じゃないんだけどさあ。人生は一回きりだから、やりたいことしなくちゃって思うんだ。ナギサちゃんみたいなしっかり者からしたら、超コドモっぽいよね。我ながらちょっと恥ずかしくなったわ」
 ケイコが無邪気に笑う。でもこれは嘘に決まっている。
 そうやってこちらを傷付けるのは小学生の頃から変わらない。チャンピオンを目指して着実に歩んでいるのに、そこだけ成長しないのが腹立たしい。
「そ、そうかな……」
 笑うふりも辛くなった。
「すごいわあ、知らない土地でブリーダーしてるの。尊敬する」
 負けたくないのに、ケイコちゃんから見た自分はトレーナーとして相手にもされていないらしい。このタイミングで自分もSPリーグのジムを制覇し、四天王を二人倒したことを言っても惨めになるだけだ。
 逃げるように仕事を辞めようとしている自分に、ケイコちゃんと同じくらいスポンサーを集めることが出来るだろうか。取引先の顔も覚えようとしない、愛想もなければ顔のつくりも悪い。また同じように四天王に負けて、ハローワークで職員に呆れられる結果しか見えない。
 ケイコちゃんは昼間も輝くケイコウオになろうとしている。
 自分はナギサシティとして、リーグの前で立ち止まったまま。確かに残されているものはポケモンと仕事だけだ。

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