ガールフレンド

 どうして女の子ってやつは終わりのない話をだらだらと続けられるんだろう。
 イブキは目の前で延々と繰り返される会話のラリーを眺めながらホットコーヒーを口にする。目の覚める苦味が「そちら」へ引っ張られないよう刺激を与えてくれた。しばらく挽きたてのコーヒーを堪能し、視線を上げてみるがテーブルの向かいに座るアカネとミカンはまだ同じ話を続けている。
「先週、コガネでアクセサリーくじを引いたらバックの衝立が当たったんです。お菓子の柄が可愛くて……」
 ミカンが始めたアクセサリーくじの話からもう十五分くらい動きがない。ハクリューに締め付けられている気分。
「ええなあ……うちはまたハズレやったわー。三十回連続で引いたのに、当たったのはピンクの髪留めだけ。可愛いけどなー」
 それを羨むアカネ。
 先月のお茶会では五十回は引いたと言ってなかったっけ。それだけ挑戦すれば外れも増えるだろう。いずれにせよ、ポケモンを飾りたてることに興味がないイブキには何度聞いても面白さが分からない話だ。ジムリーダー同士なのだからポケモンバトルやジムの運営に関する話をすればいいのに、それが話題に上がるのはほんの僅か。
 ジョウトジムリーダーにミカンとアカネが加入してから、毎月コガネで懇親会と称するアフタヌーン女子会を開いているが、彼女達の口から出るのはくだらないファッション誌みたいな内容ばかり。輝いていたい年頃だとは思うけど低俗ね――イブキは呆れながらコーヒーの香りがする息を吐く。

 本音を言えばこんなキラキラした集まりには参加したくない。
 二人とは少し年が離れているし、趣味も合わないので気を遣って誘ってくれなくても構わない。自分だって断ればいい話だ。それでもやめられないのは、初めて参加したことを従兄に話した時のあの反応があるからだ。
「へえ、ジョウトジムリーダーの女の子で定期的に集まってるんだ。女子会ってやつ? いいじゃないか、そういうの」
 女子会の報告を愚痴に変えようとしていたイブキの思惑がその言葉で吹き飛んだ。
「えっ、そう?」
「うん。視野が広がっていいと思うよ」
 彼はフスベを抜ける夏の風みたいに涼しい笑顔で同意する。それを見ると心地よい気分になって、女子会の煩わしさも忘れてしまう。
「視野って……デザートを食べながら取り留めのない話をするだけなんだけどね」
「息抜きにはなるんじゃないか? フスベにいるイブキはジムリーダーの立場を意識して肩ひじ張ってる様子だし」
 思わぬ返しに耳を疑う。
 自分がジムリーダー、従兄であるワタルがセキエイリーグチャンピオンになってからお互い顔を合わせる機会は随分減った。寂しいけど仕方ないと思っていた。スポーツニュースで毎日リーグの動向を確認していれば、それだけで彼の背中を追っている気分になり、満足に浸れていたのに――まさかあなたは私以上にちゃんとこちらを見てくれていた?
 ワタルはイブキの疑問に答えるように微笑んだ。
「俺にはそう見えるけど」

 ワタルがそう言ったので、女子会は「息抜き」として付き合ってあげていることにしている。二人の会話を右から左へ流し続けていると、ふいにアカネがこちらへ顔を向けた。
「それでイブキさん、お願いがあるんやけど」
 流れ作業のように聞いていたから、何の話題か分からない。焦りを隠すようにコーヒーを含み、余裕を装いながら首を傾ける。
「なあに?」
 するとアカネは目を輝かせながら、甘えるようにこちらの顔を覗き込んだ。
「ワタルさんの電話番号、教えてくれません?」
「はあ? 何でよ」
 先輩だからと取り繕う暇もなく、苛立ちがそのまま口から零れる。場の空気が一瞬で凍りつくのを感じたが、竜の逆鱗に触れたのだからそんなことは気にしない。いくら後輩だからって、それは聞けない頼みである。
「いや、だから……」
 青ざめるアカネを傍にいたミカンがフォローする。
「アカネさんはワタルさんと付き合いたいとか、そういう目的じゃないですよ。安心してください」
 嘘をつけ。
 女が仕事以外の目的で男の連絡先を尋ねるとき、そこには必ず下心があると思っていい。逆も然り。イブキはそれでデートの誘いを受けたことはないが、世間ではそういうものなのだ。それなのにアカネは屈託なく否定する。
「うんうん。だってワタルさんにはイブキさんがいるしー横取りなんて、ねえ?」
 すべてお見通しと言わんばかりの笑顔に、ばくりと心臓が揺れて頭から火が噴き上がった。幼い頃からずっと隠し通しているこの感情が、滅多に顔を合わせない小娘にばれているなんて。もしかすると、カマをかけているだけなのかもしれない。そうやって交渉を有利に進めることはポケモンバトルに慣れたジムリーダーなら朝飯前だ。引っかかるものか。頬を掌で扇ぎながら、素知らぬ顔で視線を逸らす。
「や……彼とは従兄妹という間柄なだけよ。そんな関係になる訳ないじゃない」
「じゃ、何で連絡先を聞くだけでそんなに怒るんです?」
 畳み掛けられると必死に取り繕っている余裕が崩れていく。
「だって……」
 あなたにワタルを取られたくないからよ――頭の中で喚きながら、夢中で嘘を捲し立てた。
「アカネがドラゴン使いにでもなるのかと思っただけよ。弟子入りならいつでも歓迎だけどね! まあ……連絡先くらい構わないわよ。その代わり、あなたに教えるのは彼の了承を得てからだけどね」
 するとアカネは両手を空へ広げ、飛び上がらんばかりに喜んだ。
「やったーっ、ありがとうございます! これでお近付きになれるー!」
 これはどう見ても嵌められた気がする。

+++

 やはり断ればよかった、とイブキはあれから何度も後悔した。
 そのきっかけはフスベジムの門下生に女子会の話をした時のことだ。アカネさんって本当に可愛いよね、小柄なのにナイスバディで恵まれ過ぎ! 少し分けてもらいたいくらい――皆が口を揃えて羨んだ。勿論、ワタルの連絡先をねだられていることは伏せたが、世間では思いのほかああいう女の子が人気らしい。フスベジムに所属しているというのに、アカネを携帯の待ち受けにしている者も少なくなかった。いつもは私への称賛ばかり口にしているくせに――あれはお世辞だったというの?
 あまりに腹が立ったので、普段なら絶対に購入しないモテ女御用達のフェミニン系雑誌をリサーチ目的で買ってみたが、そこで「モテ女代表」としてアカネが紹介されていることに驚いた。それによると、アカネは愛くるしいノーマルポケモンを思わせる顔立ちに手の入れの行き届いた身体、そして親しみやすいこざっぱりした性格、ポケモンバトルは圧倒的に強いけどたまに負けると弱さを見せる所が男心にはたまらないらしいのだ。
 そりゃあ、あの可愛らしい顔と大きな胸で迫れば一撃必殺よね――納得すると不安でいっぱいになる。ワタルもあのコケティッシュな魅力の前に陥落してしまうのだろうか。彼はリーグチャンピオンかつフスベの長老に認められた手前、普段から極めて理性的に振る舞っている。そういう責任感が強く、しっかりしたところが好きだ。だからアカネのような「モテ女代表」にころりと落ちてしまう姿なんて見たくはない。本当ならこちらを向いてほしいけれど、もし叶わなくともフスベの民に支持されるワタルのイメージを崩して欲しくはない。
 ああ、やはり断ればよかった、と心底後悔する。
 とはいえ、今更アカネとの約束を反故にはできない。連絡先を教えると引き受けたからにはそれを叶えるのが筋というものだ。悔しいけれどそこは守る。

 それでようやくワタルに切り出せたのは女子会から一週間後、竜の穴での訓練後のことである。それまで二回ほど顔を合わせる機会があったのに言い出せずここまで引きずっていたが、うかうかしては次の女子会がやってくる。やると決めたことを先延ばしにする性格ではない。竜の穴を出ようとマントを翻す、逞しい背中に声を掛けた。
「ねえ、ちょっと話があるんだけど」
 洞窟内に反響しないよう精一杯声を小さくしたものの、彼はイブキの期待を裏切ってこちらを振り返る。
「何?」
 まったく、耳がいいんだから――顔を歪めるイブキに、ワタルは戸惑っている。
「今日の訓練に不満が?」
「そういう訳じゃないんだけど……」
 ここで言わなければアカネとの約束は果たせない。イブキはワタルの喉仏を見つめながら一気に捲し立てた。
「実はこの間の女子会で、アカネがあなたの連絡先を知りたいって言ってきたのよね。まあ、これはよくある話じゃない。実際、ジムへの挑戦者からもあなたの連絡先ってよく聞かれるし……皆、あなたと接点の多い私に頼むのよ。ジムは来やすいし仕方のないことだけど、いくら同じジムリーダーだからってそういう連中と似たミーハーなお願いをチャンピオンのあなたに頼んでいいのかなって」
 一言で済む用件なのに、言葉を繋ぐたびに本題から遠ざかり、連絡先を教えることがいかに面倒なのかを力説していた。一度連絡先を伝えてしまうと、しょっちゅう通知が来るから対応が面倒だ。チャンピオンは忙しい。ワタルがその座についてから一緒にトレーニングできる時間も削られた。ただでさえ少ないプライベートを他人に割くくらいなら断ってほしい、と期待を込めてもう一度喉仏を見る。
 するとワタルは穏やかに微笑みながら頷いた。
「ああ、教えちゃって構わないよ。イブキが先方の番号をくれるんなら、こっちから連絡してもいいし」
「ウソ」
 はっきりした声が洞窟内に響き、何度もワタルに問い直す。彼は首を傾げた。
「なんで?」
 それはこっちが聞きたいくらいだ。
 アカネ以外にも赤の他人からワタルの連絡先を聞かれたことは数えきれないほどあり、その度に渋々確認を取っていたが、ここまで積極的ではなかった。フスベの学校のクラスメイト、ジムの門下生、挑戦者――誰もかれもが下心の滲み出た軽薄な人間ばかりで、結局うやむやにして終わらせていたはずなのに、アカネなら構わないのか。鍛え上げたドラゴンポケモンならピクシーにだって持ちこたえられる。それなのにトレーナーの方はいともたやすく落ちてしまうのか。あなたは地元どころか世界屈指のドラゴン使いなのに――イブキの理想が音を立てて崩れていく。
「あなたって……意外と軽率なのね」
 声を震わせつつも冷めた風を装いながらワタルを仰ぐ。半ば失恋気分で叫びたい気分だ。そんなイブキの顔を見て、彼は呆れたように頬を緩めた。
「ああ、そういうこと」
 そして背中を屈めると、見透かすようにイブキの顔を覗き込む。
「断ると思った?」
 洞窟の照明越しに艶やかな赤毛が太陽みたいに輝いていた。勿体ぶった笑顔は眩しくてたまらないが、何故か視線を逸らせない。
「別に……」
 追い詰められた気分になるのを認めたくなくて、胸がひりひりと熱くなる。対して彼は涼しげだ。
「下心はないよ」
 そんなことをさらりと言いながら微笑まれると、確信はなくとも案外なびかない気もしてきた。だがやはり、問題ないと納得させてくれる理由が欲しい。イブキはきっと目を見開きながらワタルに詰め寄る。
「じゃあ、どうして気前よく教えるの? 今までそういうこと、なかったじゃない」
 すると彼は迷いなく答えた。
「君の頼みだから」
 それまでの心配や不満がすっと頭の中から消えていく。まさかそんなことを言われるとは思わなかった。
「今回はジムリーダー同士の付き合いだからイブキの顔を立てたいんだが、断る方が良いならそうするよ。教えてくれたって君の予想通りにはならないけどね」
 そんな余裕たっぷりの笑顔を見ると、別の期待を抱いて身体の奥から熱が生じる。それってまさか、もしかして。一人で散々悩んでいたイブキはその手ごたえを得られたことに戸惑い、頬を真っ赤にして反発する。
「どうだか! 大抵の男の人ってああいう若くて可愛くて……む、胸が大きい女の子が好みでしょ。私の弟子は皆そうよ。口を揃えて言うもの。あの身体が――」
 積もり積もった不安から離れられた勢いで身も蓋もないことを言いかけたが、すかさずワタルに阻まれた。
「大抵の男はそうかもしれないが……俺は背が高くて凛々しい顔立ちの方が好みだな」
 持って回った言い方なのにじりじりと核心に近づいていく。生まれてからずっと近くに居たのに、この僅か数分で急接近されるとどう反応していいのか分からない。
「そ、そういう気遣いはいいからっ!」
 咄嗟に二歩離れると急に冷静になった。
 背が高くて凛々しい顔立ち――別に自分だけではない。彼と同じ職場の、あの女四天王だって。
「それって、新しく入った四天王のこと……?」
「さあな」
 ワタルは心底呆れたように苦笑しながら誤魔化した。
「とにかく、連絡先は好きにしていいから」
 そう言って彼はマントをさばき、洞窟の外へ出ていく。時間に余裕がないのは分かるが、こちらより遥かに大人ぶった態度が悔しい。わだかまりがイブキの中にへばりついて居心地の悪い余韻を残す。
「……回りくどいんだから」
 素直に認めてくれればそれでいいじゃない。それなのに、あなたはいつも私の先を行く。

+++

「はい、これ。ワタルの連絡先」
 イブキはワタルの連絡先を書いた手帳のメモページを破ると、半分に折ってアカネの前に差し出した。その動作に一月前のような戸惑いはない。
 テーブルの向かいに座っていたアカネはそれを大事そうに両手で受け取ると、起伏の大きな胸の前に抱いて甘い声を弾ませる。
「イブキさん、ありがとっ。すっごく嬉しい!」
 二つ結びの髪を揺らしながら笑顔溢れる姿はさながらピッピの「あまえる」だ。あまりに愛くるしいのでイブキは一瞬眩暈がした。ワタルはこれにすら動じないのだろうか。ヒヤリとしていると、隣で紅茶を口にしていたミカンが微笑む。
「よかったね、アカネちゃん。これでシバさんの写真が手に入るね」
「ねー、ホンマよかったーっ」
 そう言いながら二人は喜び合っているが――イブキにはさっぱり分からない。何故ここで四天王シバの名前が出てくるのか。
「何それ、どういうこと?」
 テーブルの上に前のめりになると、ミカンが事情を説明する。
「実はアカネちゃん、シバさんの大ファンなんです。それで色々と伝を辿ってご本人の連絡先を手に入れたらしいんですが、先方は筆不精らしくてレスポンスがなく、アカネちゃんはやきもきしてて」
 すかさずアカネが腰を浮かせながら、興奮気味に口を挟む。
「そこはバトルにストイックなシバさんやから平気やけど、でも! どうしてもマスコミ以外からの写真、特にプライベートショットが欲しくて! だからシバさんと仲がいい、ワタルさんに頼もうかなって……」
 彼女は最初からワタルに下心などなかったのだ。ようやくアカネの真意が掴めた一方で、許せない不満が湧いて頭がかっと熱くなる。
「そういうことだったの!? ワタルを都合よく使わないでよ!」
「えーっ、先月それを説明した時はオッケー出してくれたやないですかあ」
 頬を膨らますアカネを見て、先月の女子会を思い出した。こんな集まりは馬鹿馬鹿しいと、ろくに会話を聞いていなかった。その時にアカネがワタルの連絡先を欲しがった理由も流してしまったらしい。
「あ、それは……えっと……」
 完全にこちらの落ち度である。思わず口籠ってしまうイブキに、アカネが得意げに微笑んだ。
「でも、うちだってタダで連絡先を受け取るつもりないですから」
 彼女はイブキの顔を覗き込みながら、こっそりと耳打ちする。
「よかったらワタルさんのこと、探っときますよ?」
 だから、どうしてこちらの恋心を知っているんだ――慌てて誤魔化そうとしたが、下心がないと分かった解放感から本能が先に動いた。
「ほんと?」
「勿論。イブキさんが知っておくべき情報なら何でも」
 得意げに鼻を鳴らすアカネを見るに、どうやらその手の対応には慣れているようだ。ポケモンバトル以外にも開いている差を詰めるには彼女の力を借りるほかはない。イブキは女子会への先入観を捨て去りつつ、澄ました風に背筋を伸ばす。
「そ、そうね。まあ……どうしてもって言うのなら……」
 傍からにやにやとこちらを窺うミカンを気にしつつ、こっそりとアカネに耳打ちした。
「お願い、だからね」

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